「周りが見える人」考【正反対な君と僕、スキップとローファー】
「●●は結構、周りが見えてるんですよ」
その言葉を知り合いの大学生から初めて聞いたのは、2年半前の秋のこと。一緒に出かけた帰りの電車内だった。
他人をほめる=高く評価する言葉として「周りが見える」を使う人に会ったことがなかったので、「ふうむ。ずいぶんユニークなほめ方をするなあ」と思ったのをよく覚えている。
ところが、以後、何人もの学生から「○○はちゃんと周りが見えてる」「△△は周りが見えてるんだなーって感じた」など、「周りが見える」を頻繁に聞くようになった。
言葉の大意としては「自分だけのことに必死にならず、いつも周囲に気を配れる」ということだろう。
似たような言葉は僕が学生だったころにもあった。「空気が読める」とか「おとな」とか。時代が下って「コミュ力が高い」「コミュ強」とか。
でもそれらの言葉と「周りが見える」はどこか違う。より具体的で、より他者への視線が強調されている。「他者との関係構築が上手い」という、人間としての成熟みさえ感じられる。
なるほど、今の学生たちの間では、他者への気配りができる人がよほど高く評価されるのだろう、逆に、自分勝手だったりわがままだったり、目線が自分にばかり向いているような人への評価はさぞかし厳しいのだろう、と、学生のころの自分を思い出して背筋が凍りかけた。
話は少しそれるが、高校生のスクールライフを描いたマンガ「正反対な君と僕」(阿賀沢紅茶)と「スキップとローファー」(高松美咲)は、どちらも大好きな作品だ(後者は、都立西高がモデルとなっている)。
そこに登場するキャラクターたちも、確かに常に「周りを見て」いる。
仲間のささいな言動を見逃さず、その度に優しく寄り添ったり、親切心が空回ったりする(もちろん、恋もする)。そこで描かれる他者への目線は、とても繊細で洗練されていて、数十年前にはなかったものだ。
「いや、思春期なんて多かれ少なかれ、人の目が気になるものだろう」という反論があるかもしれない。だが「周りを見る」と「人目を気にする」は大きく違う。むしろ”逆”の行為だ。
「自分」が他者の目にどう見えるかを気にするのではなく、むしろ常に「他者」をさりげなく気づかい続ける。そうやって、お互いにとって居心地よい関係を作ろうとする姿勢は、実に現代的だ。
「周りが見える」。
今の若い世代のコミュニケーション力の高さ・優しさが、よく表れた言葉だ。
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