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私が不幸であることで安心する人たち

数年前、私は病みやすく、よく友達に話を聞いてもらっていた。今は昔に比べて自分をコントロールすることもできるようになり、感情がジェットコースターになることはかなり減った。

最近気がついたことがある。
数年前の私を知っている人は、私を今でも"不幸"にしたがる。定期的に私に連絡をしてくれる人。近況は?今はなにで悩んでる?と私に聞いてくる。

「凛はいつも大変そうだから私が話を聞いてあげなきゃ。」(と、思っているように感じる)

でもこれって、本当に私のため?

私は頼んでない。辛くない。日々は確かに大変だけど、「今こんなことがつらい、話を聞いてほしい。」「一緒に解決して。」そんなことを言ってはいないのだ。

数日前。何気なくラインで会話していた友達に、最近転職をした話をした。
"前職は同世代ばかりだったけど、急に10個以上離れた歳上と仕事をするのは緊張するなあ。"
そんな話をしたら、突然電話がきた。

「何、今度はどうしたの?」

えっ。どうかしててほしいの?私はちょっと考えて、

「今は大丈夫だよ。転職して、仕事の環境がすごく良くなったんだ。」

「じゃあ何に悩んでるの?上手くいってるじゃん」

「(うん、だからそう言ってるじゃん…)強いて言えば前の職場のようにワイワイ楽しく仕事はできないかな」

「そっか!うーんそれはね〜…」

それからは、いつものように励ましの言葉をたくさんくれた。ありがたかったし、その中で発見もたくさんあった。
でも引っかかったところもあった。
励まされていると、私って悩んでいたのかな。今の私の状況って、他人から見ると辛そうに見えるのかな?とよくわからない感情になった。

幸せそうだと見えていないということ?

一通り話した友達は満足そうに電話を切った。

また別の日。私と彼の共通の友達がいる。定期的に集まってお酒を飲みながら、近況を話す。
凛はまだ若いから、その人(今の彼)で決めなくてもいいんだよ。
何度も言われるこの言葉。まるで私が彼に不満を抱えていると思われているように聞こえた。
同棲もしたら少しの愚痴くらいは出ると思う。でもそれも込みで私は楽しんでいるし、彼を愛している。

ああ〜幸せ!私の彼はこんなにいい人でどこに行ってあんなことをしたんだ〜付き合ってよかったな〜!ってわざとらしく言えばいいのか?わからない。

おそらくだが、私が辛い状況から話を聞いたり、アドバイスをすることで安心しているのだと思う。アドバイスしてる自分に酔ってるってやつね。つまり私は不幸役。

捻くれてるって思われそうだし、善意で関わってくれている人にこんなこと思うなんて最低だと自分でも思う。

昔はそうだったと思う。けどもう不幸役は嫌なんだ。

昔の自分が他人に与えたイメージが自分を苦しくしているのだ。
悪いイメージを良くすることってすごく難しいと思う。
また努力をしていかないといけないと再確認した私だった。

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