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アメリカ生まれ帰国子女。だけど英語を話せない。

30歳を目前にして
改めて私の人生を振り返ると、
自分の本当の「スキ」を知ることができた。
私の生きてきた29年間、
「服」何かしら関わっていったことに気づく。


私はアメリカ生まれの帰国子女で、
男女の双子である。


4歳まではアメリカに住んでおり
そこからは兵庫県で育った。

住んでいたのは兵庫県の田舎。

だから

アメリカ生まれ
男女の双子
帰国子女

と言うのは、珍しい存在だった。


アメリカに住んでいた頃は、
相手の顔を見て
日本語か英語どちらを話すか使い分けていた。


4歳までは英語は普通に話していた。

しかし私は今全く英語を話せない。


きっかけはきっと、あの出来事。


「なっちゃん、
 ピアノの発音おかしくない〜?」

ある時友達から笑いながら言われた。

『人と違うちゃいけないんだ』
『人と違うって恥ずかしいことなんだ』

そう強く思ったことを覚えている。


英語ではピアノは「ア」が一番強く
日本語では「ピ」が一番強い。


それから私は
できるだけ話し方やイントネーションを
周りに合わすようになった。


中学生になっても悩みはあった

「帰国子女なら英語話せるやろ」
「英語話してみてよ」

そう周りから言われることが増えた。


周りに合わせよう、
英語のイントネーションは隠そう、
そう思って生きていたので
全く英語が話せない。


『アメリカで生まれたのに英語が話せない』

それがすごく恥ずかしくて、
アメリカで生まれ、
帰国子女だということも、
人に隠すようになった。


男女の双子というのも同じく、
私は悩んだ。


双子は居ても、だいたい学年1組程度
また男女の双子と言うのはより珍しい。


思春期の年齢になると

「まだ一緒にお風呂入ってるん?」
「ほんまは好きなんちゃんうん?」


と、興味本位の質問が増え、

家族と出かけるにも、

兄弟とは二人っきりにならないように、
周りに変な風に見られないように
心がけるようになった。


『周りと同じようになりたい』
『みんなと一緒が良い』


とにかく
自分というものを隠そうとしていた。

隠すことに必死だった。

本当は辛かったんだと思う。
ありのままの自分を伝えたかったのだと思う。


だから私は、「服」が好きになった。

服は人と違うくて当たり前。

逆に人と違う方が
『おしゃれだね』と褒められたりもする。


自由に自分を表現できる。
違うことが褒められる。

服ってすごいな
お洒落って楽しいな


これが私のファッションへの目覚め。

#パーソナルスタイリスト #帰国子女#男女双子#英語#自己紹介


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