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階段を愛でる

日常のほとんどを部屋に籠って暮らしているので、会社、と呼ばれる場所にはまるで縁がないのだけれど、それでも滅多にない用事で訪ねるときに私の頭を占めているのは、空模様でも電車のことでもなく、階段である。
 
会社の入っているビルとか博物館とか商業施設だとか、箱ものを訪ねる喜びのほとんどは建物を愛でることにある。目が痛いくらいの白々しいあかり、おびただしい数の柱、無機質なガラス窓。
限られた場所以外は滅多に出歩かず、車のエンジン音も聞こえないような場所に住んでいるくせに、私はオフィス街が好きだ。なんといっても、背の高い建物には階段がある。パレスサイドビルのそれも、文句なしの階段だった。
 
ほんの短いあいだだけれど、竹橋のパレスサイドビルで働いたことがある。ビル。なんて心の踊る言葉。東京オリンピックの開催された1964年7月に着工されたこビルには、4階の新聞社へ30秒で運んでくれる見事なエレベーター(そのデザインの素晴らしさといったら!)もあるのだけど、ここでは美しい二つの階段に出合うことができる。


ひとつは東京メトロ東西線・竹橋駅へつながる大きな階段。波うつ段々に、中心線のような手すりが、まるでモーセが海を分かつみたいにすっと伸びている。その礼儀正しさ、硬質さ。
じっと眺めていると、この階段は場所から場所へ移動するためでも駅へむかうためでもなく、ただただ昇るためだけに造られたのだ、という気がしてくる。上るでも下りるでもなく、そびえ立つ、という表現がぴったりなのだ。
 

もう一つは地下空間の中央に毅然とある、みっちりと編みこまれたネット状の、ステンレス線の美しさと力強さがそのまま構造体となったような階段。あまりの身軽さに階段下には支える柱もない。吊られたアルミの踏み板は足を乗せると鈍い音を響かせ、ひやりと冷たいてすりに触れるたび、ああ自分はこの階段に拒絶されているのだな、とすこし悲しくなる。でも、それが大事。
この階段は、人が自分のうえを過ぎ去るのをじっと待っているのだ。これほど深く沈黙している階段を私は他に知らない。沈黙していなければ、人は安心して身をまかせられない。それだけでこの階段は階段としての役割を充分に果たしている。なにより、こんなに美しい姿形の階段にはそう出合えない。
この階段に関していえば、ぜひ下から眺めたい。手すりの構造的な美しさだけでなく、その先の風景にも胸打たれるのだ。
 
かくいうわけで、東京・竹橋駅のパレスサイドビルの階段は、心行くまで私を楽しませてくれる。ありがとう、株式会社毎日ビルディング(運営元)。


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