性格は診断しない方がいい理由

性格分析は、「〇〇型」「△△タイプ」と
類型化することで、スッキリしようとすることが多い。

血液型占いとか動物占いとか、キャラクターで言ったら誰タイプとか…
8タイプにわけたり、16タイプに分けたり。
(だいたいスッキリ気持ちのいい数字だ、11タイプとか15タイプとかあんま聞かない)エニアグラム、エゴグラムもそうだったか。
(血液型と性格が関係ないことについては、調べればわかるのでここでは触れない)

たしかに、自分が『何型』か分かれば、スッキリする。
しかも動物占いみたいに、ビジュアルイメージがつけばなおさらスッキリする。
たくさん質問に答えて、最後に『ゴールに辿り着けました』みたいな到達感がある。
でも、そういう池上彰的な明瞭さ、スッキリさをもとめて、
自分のパーソナリティの複雑さを、軽視してるんじゃないかな。
上手にまとめすぎて、落としてる大切な希少部位もあるんじゃないかな。

「それとも坊や、あんたの性格は『16タイプ』で定義できるようなちょろいもんなのかい?」

ようするに、そういう一時的なスッキリさ欲しさに
性格分析を求めると、ハマって抜けられないよって話をします。


いうまでもなく、『診断』は、答えを出さないと診断じゃない。

例えば、あなたが体調不良で病院にかかったとしよう。
医者はこのように聞く。
「熱はどうですか?」「頭痛はしますか?」「食欲はありますか?」
あなたは答える。
「37.5℃あります。」「頭は痛くないです」「食欲はあります」
そうすると、医者はカルテにサラサラっと何かを、記入した後に、
神妙な顔でこういったらどうだろう。
「わかりました。あなたの熱は37.5℃で、食欲はあまりないようです、ただし頭痛はありません」

あなたはそんな言葉を欲してはいない。あなたが欲しているのはこういうセリフだ。
「単なる『風邪』ですね。お薬をあげましょう」
それが、診断である。

ところで、「胃腸風邪」とか「糖尿病」みたいに、性格って診断できるものなのか?
「狼型」とか「火星人タイプ」とかいう性格は存在するのか?
それは、「陰性・陽性」だとか、血液型のようにはっきりと検査可能なのであろうか。


性格というのは、身長や年収のように測れるものではない。
(心理学ではこのようなものを構成概念とよぶらしい)
たとえば、性格的な明るさ、暗さというのはルクスというでは測れないし、
ある人にとっては明るいと思っても、別の人は暗いと思うかもしれない、
そういう相対的なものもある。
(内向性、外交性などあるていど測定できる部分もあるが、それもきっぱりわかれているものではない)

しかも、血液型は変わることはないが、性格は変化し続ける。
であるなら「あなたの性格は〇〇型である」とかたにはめるのは、
連続性を無視している。

さらに私は、診断結果を思い込むようになり性格が固着化し、特徴が強化されのではないかと思う。
有名な『囚人と看守の実験』では、自分が囚人を演じることで、より囚人らしく振る舞い、
看守役は高圧的に振る舞うようになった。
同じように、「あなたは孤独な一匹狼型人間です」と言われたことで、
余計にベジータみたいになっちまうんじゃないかって。
ちなみに私自身の実感としては、アスペルガーと診断されたことで、余計にその特徴に注目するようになり、発達障害の症状が色濃くでるようになった自覚がある。

「また、私は〇〇型だから、これができないのは仕方ない」
「これができないのは、〇〇型のせいだ」
と、原因論的に考えてしまうのも、ある傾向が固着化する要因になる。

診断が悪いことではない。でも、それをするだけでは
そこまで大きなメリットもない。

結果が出たからといって、何が変わるわけでもない。
「〇〇型の人にはこちらの仕事が向いてます」と求人情報を渡してくれたらいいのだが。
それでも、キャリアや資格、年齢や職務経験、体質は人それぞれだ。
「〇〇型には蕎麦屋が向いてますから、そちらをお勧めします」と言っても、
蕎麦アレルギーの人には通じない。

だから、カテゴライズは一時的に気持ちがスッキリする程度だ。

むしろ、診断結果よりも、診断に至る過程。
「わたしは寝る前に、肘のこの部分が痛みだす」という
症状にフォーカスを当てて、深読みをして
「じゃあ、こうしていこう」と対策をいくことが大切だ。

つまり性格分析においても、診断結果よりも、問診を繰り返し、
「何が好きか」「何が苦手か」「何を喜び、何を楽しんでいるか」
その自己申告を、主観的、客観的に吟味するほうが、
診断結果を求めるよりも具体的に対策を立てやすいのではないか。

このタイプはここの部署。この職場がいい。職業が向いてる。
と、杓子定規に振り分けてしまうよりもずっと実益的だ。

初見で、自分のことを知らない医師やカウンセラーに
質問シートに書かれた結果がけを元に見てもらうのではなく、
自分で自分を分析し、家族や友人、職場で交換しあって、
具体的に「それなら食器洗いは私が」「営業ではなく事務のほうが成績をあげれそうだ」と
話し合った方が、社会は良くなるのではないか。

私は、このサービスを通して、そう言った機会を提供したいと思っている。


ところで、風邪という病気はなく、風邪っぽいけど診断できないやつは
全部風邪らしいね。

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※別に広告収入に紐づけてません。

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