私について、このブログを始めた動機
「私は、他の人と少し違うようだ」
そんな感覚を持ち始めたのは、小学校4〜5年くらいか。
当時の私は、今ほどに言語を習熟してなかったので、
「何がどう違うのか」をうまく説明できなかった。
「なんか違う」「なんか噛み合わない」
「自分だけズレてる」「俺だけなんか生きるの難しくね?」
リコーダーの授業に、自分だけ『穴の開いたちくわ』で吹かされているような違和感。
そうして、悶々と過ごした10年という歳月。
24歳の時に、心療内科を訪ねた頃には
自分だけ違うという『感覚』は『確信』に変わっていた。
だから、発達障害(アスペルガー症候群+ADD)と診断された時、
「ほらみろ」って思った。
私にとって『自分の頭の中は他の人と全然違う』と知った体験は貴重だった。
私はそれ以降、自分の頭が他の人のそれとどう違うのかを調べるようになった。
それは、『発達障害でない人たちベースに作られている社会』を攻略していくための
必須課題であったし、同時に楽しくもあった。
そうするうちに、障害があるかないに関わらず、
みんな全然ちがう考え方をもっていることに気づき始めた。
生まれ持った遺伝子や、環境、体験、読んだ本の影響もあるし、
その日のコンディションでさえ、自分の考え方を左右する。
あらゆる要素がすごく複雑にからみあっていて、とても体系化、分類化できるものでないと思った。
でも私は、それを『面白い』と感じた。
それぞれの違いを知ることは『楽しい』と知った。
同時に、その『違い』が存在していることに気づかないで苦しんでいる人が
たくさんいることもわかってきた。
その『違い』に気づけないことが原因で、病んだり、人間関係が壊れていたり、
家庭や組織がうまく回らなくなっていることも多くあると感じた。
助けてあげられるかもしれない、と思った。
「自分は周りと同じようにできないアヒルなんだ」と思っている子を見れば、
「あんたの実の親は白鳥かもしれないよ」と伝えたくなる。
そうすれば、白鳥は『アヒルのようになれない』ことを悔やまなくていいし、
アヒルの兄弟は「あいつは、泳ぐ努力が足りないんだ」とストレスを溜めることもないし、
「これだけ頑張って育てても、黄色くならないのは私が悪いんだわ」と
母親が育児ノイローゼにかかったり、旦那に責められることもなくなるだろう。
みんなハッピーだ。
ウィンウィンどころではない。
ウィーンウィーンウィーン交響楽団だ。
「あ、俺、誰かの役に立てるかもしれない」って思った。
自分は「できないこと」を責めて、「こんなに自分を責めてますよ」とみんなに詫びて回るより、
「できること」を精錬し、みんなを助けられることをすれば、
結果的に、みんなに喜んでもらえるのだ。
私は、ワークシートを作るのが好きだ。
だから、このブログを書いている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?