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今、目の前の大切な人は笑っていますか?

11/13(月)~11/16(木)の3泊4日で鹿児島県の最南端近くに帰省してきた。
「知覧」この地名を聞いてピンとくる人はあまり多くないかもしれない。
ただこの場所は僕にとっては最も大切な場所であり、最も自分と向き合い命と向き合える場所だ。

今日はそこで改めて感じた「命」との向き合い方を記していく。


百死零生の奇襲作戦「特別攻撃隊」

いきなりだが聞きたいことがある、特別攻撃隊を知っているだろうか。これは知っている人が多いと思うので質問を変えよう、「平均年齢21歳と言われる若者が国や大切な人を護る為に命を捧げた特別攻撃隊」を知っているだろうか。

第二次世界大戦で連合軍との戦いを続けた日本だが、戦況は悪化する一方。そこで日本軍が最後の砦として用意した攻撃が250kg爆弾を乗せた戦闘機で敵艦に体当たりする特攻作戦だ。

もちろん敵艦に体当たりを成功しても死。体当たりに失敗して敵から撃ち落されたも死。という今では考えられない百死零生とも言われた攻撃である。

今日はそんな特別攻撃隊として日本国の為、大切な人の為に戦った方々がいることを皆様に伝えたい。そしてその方々が書いた遺書には何が書いてあったのか。何が起きていたのかをまだまだ僅かな知識しかない身ではあるが書き記していく。

この記事は僕がこれから生きていくうえでどう在るのか、その決意としても書き残す。

またこの記事に書いていることはあくまで個人の見解であることを予め伝えておきたい。

遺書の最後に書かれた特攻隊員の本音。

穴澤利夫少尉ー婚約者に向けた最後の想い

特攻隊員の一人、穴澤少尉は婚約者がいた。最後はその婚約者である智恵子さんからもらったマフラーを巻いて笑顔で出撃したと言われているが、穴澤少尉が残した遺書が強く優しく、そして人間としての本音が記されている。

私が最も衝撃を受け、影響を受けたものだ。
その一部をご紹介させていただく。


婚約をしてあった男性として、散っていく男子として女性であるあなたに少し言って征きたい
 あなたの幸せを希う(ねがう)以外に何物もない
 徒に過去の小義に拘るなかれ あなたは過去に生きるのではない
 勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと
 あなたは今後の一時一時の現実の中に生きるのだ
 穴澤は現実の世界にはもう存在しない
極めて抽象的に流れたかも知れぬが、
将来生起する具体的な場面場面に活かしてくれるよう
自分勝手な一方的なことばではないつもりである
純客観的な立場に立って言うのである

(中略)

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい

一、読みたい本
「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
二、観たい画
ラファエル「聖母子像」芳崖「悲母観音」
三、智恵子 会いたい、話したい、無性に

今後は明るく朗らかに
自分も負けずに 朗らかに笑って征く
利夫


いかがだろうか。
穴澤少尉の哀しみは自分の命ではなく、愛する人の行く末だったのだ。

そして太字にもしたが、最後に本音がこぼれている。
「会いたい、話したい、無性に」

ここに特攻隊員の全てが込められていると感じた。
私のことは忘れてあなたは未来を生きてください。もう現実に私はいないからあなたはあなたの幸せを生きてください。

そう智恵子さんを思い綴りながらも、最後には婚約者としての本当の想いがこぼれている。

それはそうだ。大切な人ともう会えない、話せないことが悲しくないわけがない。

それでも会えない、話せない時代があった。

その本音を抑えてでも日本国の為に命を捧げなければいけない時代があったのだ。まずはそこを読んでいるあなたに知ってほしい。

特攻隊員の強さと優しさ

出撃前日でも家族を想う

前項では私が特に影響を受けた穴澤少尉の最後の言葉を紹介したが、知覧から飛び立ち命を落とした特攻隊員の数は439名。それぞれに人生があり大切な人がいた。

そしてそれぞれが大切な方に向けた最後の言葉を残している。
知覧特攻平和会館に遺書や遺品がまとまって展示されているので興味がある方は行ってみてほしい。

そんな特攻隊員の遺書を読んでいて感じたこと。
それは、死を直前にしてなお大切な人を想う強さと優しさだ。
その在り方に私は驚愕した。

遺書に書いているのは家族への感謝や、
国の為に死ねるならば本望だという内容が多く並んでいる。

まずはその書いている達筆な字にも驚かされるのだが、
明日出撃を命じられている状況で最後の最後まで大切な方のことを想って遺書を書いているのだ。

どういうことか、この時代は死ぬのが怖いとか死にたくないと言っていると非国民として扱われてしまう時代。もちろん家族も同然だ。

この頃の手紙は全て検閲を通して送られていたので家族のことを想い、最後まで前向きに書いているのではないかと思う。また心配をさせないためというのもあったのかもしれない。

自身がその時代に生きていたわけではないので真実は分からないが、「洗脳されていた」とか「本心で死ぬことが本望だと思っていた」と言う人もいる。そうだったのかもしれない。事実は分からない。

ただそんな人たちが敵艦に突撃する直前に「お母さん」と涙を流して叫びながら突撃していくだろうか。

まだまだ母親にも父親にも甘えたいし話したいこともある。

大切な人と幸せな時間を過ごして笑っていたい、少しなりともそう考えていたのではないか。実際にも穴澤少尉の遺書にも表れているのだから。

ただそれでも家族を想い、心配させないように、苦労させないように。

最後の最後まで自分よりも大切な人の為に生き続けた日本男児がいた。
これが紛れもない事実である。

愛するものを護るために、大空に飛び立った若者たちがいた。
それを僕は絶対に忘れずに心にとめておきたい。

その先人が願った平和

そんな特攻隊員が願った平和、命を懸けて願った平和な日本に今なっているのだろうか。

つい先日には町長が、町の職員に「死ね、殺すぞ」など言っていたことを”お笑いみたいなノリ、ツッコミのような感じ”と話していたニュースを目にした。

こんな日本で特攻隊の方々に、「あなた方のおかげで今、日本は本当に素晴らしい国です」と胸を張って言えるだろうか。

今僕らがやるべきことは大層なことじゃなくても良いと思う。

目の前にいる人を笑顔にする。大切にする。
優しい言葉を使いマイナスの言葉を使わない。
for youの精神で見返りを求めずに徳を積む。

そして特攻隊員として日本を護ろうとした方々がいることを忘れずに、平和な日本にする。

そんなシンプルなことが今最も重要なのではないのだろうか。

僕が目指す日本

まずはここまで読んでいただきありがとうございました。
もっともっと紹介したいストーリーや書きたいことがあるのですが、永遠にかけてしまいそうなので…

まとめとして僕が今後行っていくこととどのように生きていくのか、そしてどんな日本にしたいのかを書いていきたいと思います。

僕が今後行っていくことは
①目の前にいる人を笑顔にする
②ポジティブな言葉を使い続ける
③特攻隊員についてもっともっと多くの人に伝え続ける
④今生きている幸せを噛みしめて自分の可能性を信じる
⑤見返りを求めず徳を積み続ける

この5つです。
幸いなことに僕には大好きな家族と大好きな彼女と大好きな仲間が沢山います。そんな大切な皆を笑顔にできるように生きていきたいと思います。

そして今生きていることや、挑戦が出来ることを当たり前と思わずに。
やりたくてもできなかった人がいることを忘れずに挑戦を続けます。

最後に、僕は特攻隊員の方々に「今日本は素晴らしい国です」と言える日本にしたいです。将来の子供たちがポジティブな言葉を使おうとか今更そんなこと言わなくても分かってるよ!と言ってくれるような世の中にしたいです。そのために自分から始めます。

すぐに結果は出ないかもしれない。
けど愛するものを護るために大空に飛び立った彼らが願った平和を未来の若者に繋げるために、僕は生きていきます。

俺たちが死んで、日本を護る。

そんな強いことはまだまだ言えない弱い人間だけど、
目の前の人を大切に。笑顔にします。

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