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芹沢あさひの同級生になりたい

私、思うんですよね。『アイドルマスター シャイニーカラーズ』に登場するアイドル・芹沢あさひの同級生になりたいって。

まず、事はその世界線の私(以下、「私」)が中学2年生の時から始まります。というより、作中で芹沢あさひが中学2年生であるため自然とそう定まりますね。

この時点では私と芹沢あさひは学年こそ同じであるものの別のクラスの人間です。別のクラスですが、学年の連中の会話から芹沢あさひのことはなんとなく知った状態でいるんですね。多分、「ちょっとヘンな子」だとか「浮いてる」とか、あるいは「騒動を起こしがちな問題児」だなんて噂されているのでしょうか(つらいね)。そして、そんな中で「その芹沢がアイドルになった」なんて噂も小耳に挟むわけです。ただ、この時点では私は芹沢あさひに対して特にこれといった関心は持っていません。

そして、中学3年生になる。そこで、噂の芹沢と同じクラスになる。中学3年生というのはちょうど思春期に入ってきて、「周りと違って見られたい」なんて気持ちが芽生える子も多い時期でしょう。私も、その例に漏れず自己顕示欲を拗らせているわけですね。そこに、芹沢。「変わり者」と噂の、芹沢。否応なく私の心は「変わり者」に惹かれます。そして私は芹沢あさひと接点を持とうとする。ライトノベルで時々見かけるような、「おもしれー女」といった感じの心持ちで、芹沢あさひに関わろうとするんです。でも、思春期の肥大化した自己顕示欲に埋もれた頭でっかちな私というものはどうしても独りよがりで、芹沢あさひの興味を惹くことなんてまるでできません。それでも私は諦めず「変わり者」になりたくて芹沢あさひと関わりを持とうとします。すると、元々「変わり者になりたい」という意識で埋め尽くされていた私の芹沢あさひへの意識は、次第に「芹沢あさひ」という人間そのものへの好意へと変わっていきます。恋というやつです。ただし、意識の持ち用が変わったとはいえ私と芹沢あさひとの関係性は何も変わりません。私が居て、芹沢あさひが居て、私が一方的な矢印を向ける。それだけの状態を維持しながら、中学生としての生活は少しずつ終わりへと向けて進んでいくのです。

そんな中、卒業式まであと半月といったくらいの時期でしょうか、私の人生には大きな歪みが加わります。

見たのです。アイドルの「芹沢あさひ」を。

そこに居たのは果たして私が知っていた芹沢あさひだったのでしょうか。「あまり他人と関わりを持たず、口を開けば口論のタネになることもしばしばある同級生の芹沢」だったのでしょうか。きっと、違うでしょう。迷光を纏い、年不相応な圧巻のパフォーマンスを魅せる芹沢あさひは、元々芹沢あさひに好意を抱いていた私に大きな大きな衝撃と、ほんのりとした劣等感との種とを与えます。この時に抱く劣等感は、恐らく、自分と同じ人種だと思っていた芹沢あさひがこうして輝く姿を持っていたという事実に対しての物でしょう。そうやって、私の芹沢あさひへの思いはより強固なものになったものの、時は無情にも進みます。好意を持つ相手のいる状態での卒業式までの半月などと言ったら間違いなくさらに早く進んでいくでしょう。結局、私は芹沢あさひと何の関係も持てないまま、「ただのクラスメイト」として別々の進路へと進んでいきます。

しかし、ここから先の人生は短いものです。好意を持ち、憧れていたその相手が身近 (これが本当の「身近」だったのか、と聞かれればそれはいいえと答えなければならないのかもしれません) に居た「あの時期」は、私にとっていつにも代えがたい大きな意味を持ったものであり、そんなものと比べてしまえば他の如何なる瞬間もつまらない。恐らく中学3年生の私が思っていた以上に、芹沢あさひは私の意識の奥底まで入り込んでいたのでしょう。とにかく、芹沢あさひの居なくなったあとの私は、空虚に、また、平凡に、しかし芹沢あさひに心を囚われているため特に誰かを愛することもできないまま人生を歩んでいきます。このとき、私が芹沢あさひのファンになっているかということについては、恐らく「はい」と答えられるでしょう。この『恐らく』という曖昧なワードは、中学校を卒業したあとの私が芹沢あさひに相対する劣等感に耐えきれるかという懸念のためのものです。お恥ずかしながら、自分自身でも自分の心というものには明確な答えを出しづらい。

そうして平凡な人生を送っているなかで、ふと中学3年のあの時期を思い出すタイミングというものは往々にして存在しています。そうして時々平凡な人生の中で唯一輝いていたように思えるあの時期を思い出し、自分とは違う「アイドル」である芹沢あさひを思い出しては、私は深い心の底へと沈んでいくのでした。これは、一生涯引きずる事となる大きな心の傷です。

そんな人生を送っているので、私は、「芹沢あさひ」を恨みたくなることが、きっと何度も何度もあります。自分の人生をめちゃくちゃにされているのですから。しかし、それは無理なことです。なにせ私は芹沢あさひのことが好きなのだから。それに、芹沢あさひは私に対して何もしていないということを頭では理解しているのだから。

そう。結局、この私の人生において芹沢あさひは特に何をする訳でもありません。ただ、一年間そこに居たというそれだけのこと。芹沢あさひにとって私はたくさん居た同級生の一人に過ぎなかったのでしょう。

しかし、あの頃の肥大化した私の自己は、芹沢あさひという人間を通していつまでも私のことを傷つける。

つまり、この話は、芹沢あさひの話のようでもありつつ、思春期の肥大化した自己に一生涯を通して悩まされ続ける愚かな私の話という側面が非常に大きいのです。
まいったね。

とにかく、芹沢あさひの同級生になりたい。そういった妄言でした。あと、空と青とアイツが欲しいです。

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