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妻脳梗塞で倒れる(最初の1週間)

2021/9/28 妻が脳梗塞で倒れた。
私にとって忘れられない日。

昼12:10
突然見知らぬ番号から電話がかかってきた。少し出るのを躊躇するも、応答ボタンを押すと、妻の職場からの電話だった。

電話の内容は、「11:45頃、妻が職場で倒れ、左側が麻痺して、右手が痙攣しているため、救急車を呼んでいる、まだ病院が決まっていないので、まずは連絡と、病院が決まったら再度電話する」との事だった。

一瞬だけ思考停止になりそうだったが、すぐに反応できた。「了解です、病院が決まったらすぐに電話ください。準備しておきます」と伝え、準備を始める。

12:30
電話がかかってきて病院名を告げられる。タクシーを呼んですぐに病院へ向かう。

13:30
病院で妻の上司と会い、倒れた時の状況を教えてもらう。幸い妻はクリニックに勤めていて、上司の方含めて即座に適切な対応をして頂いた。また13:00過ぎから、妻はCT/MRIを取りにいっているとの事だった。

14:00
お医者さんが来て、病状はほぼ脳梗塞であることと、血栓を溶かす処置(血栓溶解剤「t―PA」)とカテーテルを行い、血栓があれば取り除くオペの同意の説明が始まった。この瞬間に同意の判断といわれても、どうして良いのか分からないと思ったが、脳梗塞は1分1秒を争うと思い、即座に同意した。

手術に向かう前に一瞬だけ運ばれる妻を見れた。右手が痙攣して、ほとんど意識がない。左側麻痺はよく分からなかったが、右手の痙攣が本当に危険な状態である事を感じさせた。

15:00
オペ後にストレッチャーに妻を乗せてお医者さんがきた。血栓溶解剤「t―PA」を使ったこと、カテーテルで血栓を取りのぞくことはしていない事を聞いた。

先生の説明では、脳梗塞の状態から見ると、脳への太い血管が1本詰まったぐらい右脳の広範囲に脳梗塞が見られるが、カテーテルでみると現在は血は流れているとの事だった。そのため、あくまで推測の域だが、瞬間的に太い血管が詰まって脳梗塞になったが、その後自力で血栓が取れて血が流れ始めたのかもしれないと、ただ今後継続して原因は調べていく。との事だった。

16:00過ぎ
帰宅。帰宅後、全く実感がわかない。ほとんど記憶がないが、ご飯を食べて、風呂に入って、寝ていた。

翌朝以降の朝は、最悪の起床になった。起床するたびに、嘘だろ、夢だろ、と思う。でも嘘でも夢でもなく現実で、それを感じるのがつらかった。朝目覚めるのが本当に辛かった。

翌日からは朝1時間早く起きて、散歩をして、近所の神社へ行き、少しでも後遺症を軽くしてほしいとお祈りした。

こういう時こそ、規則正しい生活しようと心がけた。掃除・洗濯・皿洗い、週末にはスーパへ買い物へ行く。でも、この何気ないことをいつも妻と2人でやっていたから、余計に妻がいない事の寂しさが胸を刺す。家にいても、いつも横にいる妻がいない。苦しくて、涙がこぼれる。本当に最初の一週間はきつく、耐え難い時間だった。

コロナの関係上、週末は病院へ行くことは出来なかった。お医者さんからは、週明けに妻はICUから一般病棟へ移される事を聞いていたので、月曜日に病院へ両親と共に向かった。

妻の病棟は3階と聞いていたので、エレベータで3階に向かう。3階につきエレベータの扉が開くと、看護師さんが女性を車椅子に乗せて何処かへ向かうところだった。ただ、その女性がこちらを向くとじっと見てきた。近づいて、よく見ると、それは妻だった。

先週、妻はずっとICUに入っていたので、iPad越しにしか見る事ができなかったが、意識朦朧で会話はもちろん、言葉もほとんど話せなかった。そのため、私も両親も当然妻は、今もベッドで横になっていると思っていたので、妻が車椅子に乗っていることが信じられなかった。

私たちが妻に近づくと、妻は私に「ごめんね」と、両親に「すいません」と言っている。私は固まった。妻がちゃんと話せている。意識疎通も出来る。それこそ夢かと思った。

私は妻の手を握り「大丈夫だから、大丈夫だから」と繰り返した。看護師さんから「今からリハビリ施設見にいくので病室で待っておいてください」と言われる。

病室へ向かう廊下を歩きながら、胸に刺さった棘(とげ)が抜けていくのを感じた。会話が出来た事が本当に嬉しかったし、ホッとした。周りの人には「前を向く」とは言っていたが自分でも半信半疑であった。でも、この瞬間に改めて前を向いて頑張ろうと思った。窓を見ると、夕日にかすんだ富士山が見えた。

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