221217 力の話

目に見えないもの、力。

それは意外と恐ろしくて、同時に素晴らしいものである
今日は言葉の力を感じた出来事があったのでnoteを書く

夜、舞踊の公演に行った。
MCを務めた振付家の先生の口から出る言葉は
なんにも取り繕われることなくむき出しの状態で
私の耳に、脳に、心に、真っ直ぐに入ってきた

私は「作る」ことについて学んでいるため、
同じく(というのはなんだか恐縮だが事実として、)
振りを「作る」立場にいらっしゃる先生の言葉の中には
共感できるものも多く、慰めてくれるものも多く、
鼓舞してくれるものもあった。

表現すること
再現すること
目に見えない思いを、目に見えるものにすること
伝えたいことを伝えようとすること
空想を現実にしようとすること

この重要さがあまりにもわかりやすい言葉で説明されて
拍子抜けするほどに理解できた気がした

なんだか簡単なロジックのようにみえるが
これこそが言葉の力なんだと思う
ロジックなんて荒すぎて比べ物にならないくらい
細密で濃厚な力

目に見えない声という媒体によって、私は感覚的にそれを理解する
あるいは理解できた気になる
ここでは本当に理解できているのか、できた気になっているだけなのかなんて
どうでもよい

その言葉から吸収し、自分の力として発散する。
そうして皆んなの力が何層にも広がっていき、太くなる

力が目に見えなくてよかったと思う
そこに利益など生まれたら、たまったもんじゃない
(今日なんて、いくら払わないといけなかっただろうか)

言葉の力は、自宅に帰ってからも続いていた(というか帰ってから「作る」作業をしている時に『あ。すごい』と言葉の力を感じた)。

今日浴びた言葉の力は、私にとって「作る」源となって、
いつもはうんうん悩んでこれっぽっちしかできないのに今日は幾分進みが早かった
力のおかげだ。たぶん。
得たものを自分のものとして形を変えて、あるいは溶け込ませて発散した。
でもまだまだ蓄えはある、と思う。

目に見えないから、
あとどれだけ蓄えがあるのか
知らぬ間に消えてしまうのではないか
明日には空(くう)の中にぼやけてしまうのではないか
とか、まあ不安はある。
が、それを忘れないためにも、
それを感じていた自分がいたよと
未来の自分に教えるためにもこのnoteを書いたみたいなところはある

言葉の力だけでなく、もちろん公演にて
一心不乱に舞う演者の方々を見て、
視覚的にも物凄い刺激と力をもらったと思う

得た力を実感することはなかなか珍しいことなのだろう
幸せを実感するのが稀であるのと同じように(次のnoteに最近実感した幸せの話を書こうかな?)

良い1日でした
ありがとう。

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