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神はなぜバラムに怒りを燃やしたのか

どんな話?

旧約聖書、民数記22章から24章まで、バラムとバラク(今でもこんがらがる)の興味深い話が書いてある。

大意は次のようなもの。

イスラエルの民が、カナン途上にモアブに宿営する。モアブの王バラクは恐怖を抱き(イスラエルの通り道にある民族はことごとく打ち負かされていた)、イスラエルを呪うために占い師バラムを招く。しかしバラムはイスラエルを目の前にして神から宣託を受け、これを祝福する。バラクはカンカンに怒るが、バラムは「イスラエルがやがてモアブを滅ぼす」と告げて去って行った。

バラクが雇った(?)バラムが、イスラエルを呪うどころか祝福した、というのが面白いのだが、22章に奇妙な出来事が書かれている。

バラムは殊勝なことに、バラクの招きに応じてよいかを神にお伺いを立てている。そして神はそれを許したのだが、出発したバラムに神は怒りを燃やし、彼を殺すために(?)主の使いが剣を持って立ち塞がった。

神は、なぜ心変わりした(ように見える)のか。バラムが行くのを許しているのか禁じているのか、一体どっちなのだ。

考察

22章の経緯を聖書で追うと、こうなる。

(1)バラクがバラムを招くため使者を遣わす
(2)バラムが招きに応じるかどうかを神に伺う
(3)神がダメだというので、バラムは使者に断る
(4)バラクは再度大勢の高貴な使者を遣わす
(5)バラムが再度神に伺う
(6)神が行くことを許す
(7)バラムが使者と共に出発する
(8)神の怒りが燃え、主の使いがバラムに立ちはだかる

さて、問題はなぜ(6)で行くことを許したはずの神が(8)で怒ったのかということだが、この謎を解く鍵は(5)にあると思われる。

バラムは一度(2)で神に伺いを立てている。この時、神ははっきりと理由を述べてそれを禁じている。

あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。(民数記22:12、新改訳2017)

にも関わらず、バラムは彼を訪問した使者に恐れをなしたのか、ご機嫌を取ろうとしたのか、礼物に目が眩んだのか、神に再度伺いを立てた。恐らくここのバラムの気持ちは、

神様、行っちゃダメですかね?行ったらあなたの言う通りのことを告げますから。

という感じではなかろうか。だとすると、(6)での神の許しは「それほど言うのなら行け、ただしわたしの告げることだけを行え」と「譲歩」したことになる。

バラムは、一度ダメだと言った神に同じことを再度伺いを立てた。もちろん、「ソドムを滅ぼさないでください」と言ったアブラハムのように、何度も願うということ自体が悪いわけではないのだろう。しかしアブラハムとの違いは、バラムの願いが利己的だったことだろう。欲に目が眩んだのか、少なくとも神を蔑ろにしている。

神は、立派な使者を見て心の揺れたバラムが、勢いでイスラエルを呪いかねない弱さを持っていることをご存知であった。だから、バラムに神を畏れることを教えるために、ロバをも用いながら、己の判断の貧しさを自覚させようとしただろう。果たしてバラムは、神に従順になった。34節でバラムは言う。

今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。(民数記22:34、新改訳2017)

当然だ。神のお気に召さないことはとっくにわかっていた。しかし神は、そんなバラムの失敗をも用いて、イスラエルを高らかに祝福させたのだ。

ほむべきはイスラエルの神、主である。


※これは個人による考察です。聖書の引用は新改訳2017(新日本聖書刊行会)によります。