優しさが多くを生む、良くも悪くも

いつもとは違い文字を詰めて投稿します
読みにくくなっていたら申し訳ありません
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「やさしさ」ってなんだろう。

私自身に問いかけてみたが簡潔的な言葉が出てこない。
そこで、検索サイトで調べてみたが、知りたかった「やさしさ」の意味よりも多く出てきたものがある。
「本当のやさしさ」とは・・・このような記事である。
それらの記事は、恋人のその優しさは本物なのか、見せかけのやさしさとは何か、というような題で書かれていた。
「やさしさ」よりも、そのやさしさがどれくらい信用出来て正しいのかということの方が注目されるということなのか。これがリアルなのか。

多くの人が知っていることだろうが、

「やさしさ」には 『本物』 と 『偽物』 がある。

言いたくはないが、事実だ。
少しだけ『偽物』をフォローするとしたら、自分の意思だけではなく無意識の中にも存在する可能性がある事。
しかし、偽物が完全に悪かと言われると、それだけではないことは言っておく。
そして、その偽物だけだはなく、裏返しのやさしさも存在したりする。


さて、人間のやさしさはどこから来るのだろうか。
関わる人すべての人に平等に優しい人がほとんどいないことを考えると、やさしさの対象が深く関係しているかもしれないと感じる。例えば恋人。サッカー部のキャプテンだった強面の男の子が、彼女の前ではやさしくて、なんてことがあるくらいだから相手の影響は大きいのだろう。
これに関して、「人を選んだやさしさ」と言われると納得できない。
これが人間らしさだと感じるからだ。
よく、「万人へのやさしさはやさしさじゃない」などと言われる。これもまた人間の言うことは非情だなとも感じるのだが。自分自身の周りにいる人に対して等しくやさしさをもって関わろうとする人がいる中で、この言葉が存在するのだ。
これも人間らしさと言えばそれまでになってしまうかもしれない。

やさしさに本物と偽物があると書いたが、それ以外にもやさしさが生むものは多くあったりする。
自分のやさしさと相手のやさしさが噛み合わない時には、片方が疲れたり、行き違いが生まれたり、勘違いがあったりする。これが一番辛いかもしれない。これらの多くが、恋ゆえのやさしさだろう。好きという感情は時にその人を大きく変える。これは良くも悪くも言える。そのやさしさは、自然と溢れてしまうのだ。簡単に言うと好きだから。相手にも好きでいて欲しいから。しかしながら、そのやさしさが裏目に出てしまうこともある。
これは、恋愛とは違う経験だが、友達の家でしばらくお世話になる時、せめてもと感じて、毎回皿洗いをしていたら「手持ち無沙汰」だと言われたこととがあった。それを言われた時にこの記事を書こうと思った。やさしさがやさしさじゃないとは言わずとも、相手によって違う捉え方をする場合があるのだと。それからは、常に考えるようになったが、やさしさについて考えていると、いつも通りの自分自身がわからなくなってしまった。やさしさは難しいと感じた。

今回考えてみて感じたのは、「やさしさ」を型に入れないのが一番だと感じた事。
相手のやさしさを疑う時が来るかもしれない。そのやさしさが辛くなる時が来るかもしれない。自分のやさしさがわからなくなる時が来るかもしれない。

人間だもの、このような感情が生まれることがあって当たり前。
「考えるな」「悩むな」とは言えない。

唯一言えるのは、自分なりの「やさしさ」を捨てないで欲しいということ。
何もその優しさを他人に向けろとは思わない。向ける人がいなくなったのなら自分に向けてあげられたらいいだろうし、一緒にいたいと思える人がいたら無理のない範囲で分けてあげたらいい。キャパオーバーのやさしさはかえって自分を苦しめてしまうから、その点だけは注意が必要だ。


ここまで「やさしさ」が時に裏返し生んだりという、少しマイナス面を多く書いてきた。

本来だったらば、「やさしさ」の微笑ましい体験談などがかけたら良かったのかもしれないが、このような形になってしまった。しかしそれにも理由がある。


それは、僕が「note」を投稿する意味

「僕の記事を読んで、今日明日の生きる力になる人が
一人でもいてくれること」にある。

あえて多くは言わずに・・・・・・・・



僕は悩んだ時、ビル街から離れて少しでも自然が感じられるところで空や月を見て大きく深呼吸しています。

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