見出し画像

生きるために食べる

1人で生活していると生活の全てが目の前の課題だ。
その課題を淡々とこなす。
食事して、睡眠をとって、運動して、効率良く家事をして、クライアントからの依頼仕事をして、本を読んでと、1日中休む暇がない。
それぞれを、もっと良くすることを考えながらこなす。
例えばゴミは収集日の前夜にまとめておいて朝はゴミに頭を使わないようにしたり、基本食材と基本メニューを決めてスーパーで考える時間を減らしたり、床を這う電気コードを無くしてロボット掃除機が動きやすくしたりなどだ。
目の前の課題を淡々とこなして時間を過ごし、日々を送る。
楽しいとか楽しくないとかではない。

ケニアを旅したちきりんが著書「世界を歩いて考えよう」の中で言っている。
サファリを経験して一番価値があったと思うのは、「生きるために食べる」という生き物のシンプルかつ重要な原則を再認識したこと。そこには弱肉強食だけが存在し、「かわいそう」も「厳しい」もない。生きるためには食べ物を射止めなければならないし、狙われた方は食べられないように必死で逃げないといけない。食べるために生き、食べられないように生きる。何日もサファリカーで草原を走りながら「これが人生の基本」だと気づいたそうだ。楽しいとか楽しくないとか、有意義な人生だとか、生きる意義とか、社会に貢献するとか、そんなことはどうでもいい。その前に私たちはまず「食べ」そして「生きる」のだ。
先進国では「人生の意義は何か?」とか「私は何者なのか?」という「答えのない問い」が哲学として重々しく発せられる。でもアフリカにいるとそれが無意味だとわかる。今日生きるのは明日も生きるため以外何もない。それが生き物の人生だ。

目の前の課題をありのままに受け入れる。
前に良くなかったところを今回少しだけ良くする。
明日も生きるために今日を生きる。
シンプルに考え、悩まずに生きよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?