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NPO法人コレジオ・サンタナ理事 柳田 安代 氏 私たちは、誰と一緒に生きているのか ~ 違いを乗り越えて共に暮らすために必要なこととは ~(January 2023 Vol.005)

インタビューコンセプト

今回は柳田安代さんから、愛荘町にあるブラジル人学校サンタナ学園ついてお話しいただき、「多様な人が同じ場所で共に暮らすためにはどうすればよいのか」という問いについて考えました。重要なのは、「一緒にいる時間を増やすこと」だということが見えてきました。

インタビュイー紹介

柳⽥ 安代 ⽒
⼤学時代から4年間をアメリカ、イギリスで過ごし、「異質」や「多様性」を背景に持つ。NPO法⼈コレジオ・サンタナの理事であり、サンタナ学園の事務局機能を⼀⼿に引き受けている。

記事本文

現実を直視したケンコ先⽣がはじめたサンタナ学園

遠藤: サンタナ学園は校⻑である中⽥ケンコ先⽣が、⽇本にいるブラジル⼈労働者の⼦どもたちの境遇に衝撃を受けたことがきっかけで始められたんですよね。
 
柳田: そうです。ケンコ先⽣は⽇系2世で、元々はブラジルで学校の先⽣をしていました。ブラジルではしばらく働くと2年間の休暇がもらえるそうです。その休暇を利⽤して⽇本に訪れた際、工場で働くブラジル人と友達になって集合住宅の家に遊びに行ったら、昼間から学校にも行かず家でジーッとテレビを見ている子どもたちの姿がありました。両親は働きに出かけ、隣室では夜間シフトのため昼間寝ている⼈もおり、部屋でバタバタすると怒られるため、じっとテレビを見ているんです。教育らしい教育も受けられていないし、⽇中に発散もできないため夜寝られない⼦が多く、睡眠薬で眠らされている⼦もいました。そんな「子どもらしさ」とはかけ離れた姿にとても心を痛められたのだと思います。その後、⼀旦帰国されたものの、「あの子たちのために学校をつくりたい」という思い で再来⽇されました。ご縁があり、今の土地にモデルハウスを買ったことでサンタナ学園がスタートしました。最初は3⼈しか預かっていなかったのですが、口コミで広がって、子どもたちも成長していき、今は0歳から18歳までの約80⼈を受け入れる学園になりました。
 
遠藤: 柳⽥さんはどういう経緯でサンタナ学園と関わり始めたのですか。
 
柳田: アメリカ人の夫と共に東京に住んでいるとき、夫が愛荘町の中学校でALTの職をネットで⾒つけて引っ越したことが始まりでした。夫も外国人ですし、現地の国際交流協会に連絡してみたら外国⼈の⼤⼈向けに⽇本語講師を頼まれました。ほどなく、引っ越してきた近くにサンタナ学園があることを知り、散歩をしている時に建物を⾒つけて⾏ってみたらケンコ先⽣がいたんです。すでに国際交流協会で⾯識があったので、持ち前のウェルカム精神(「中見テッテクダサイ‼」)で中を見せてくれました。そのときサンタナ学園で英語を教えていた先⽣が4⽉で退職することを知り、代わりに夫が春休みに学園に出向いて英語を教えることになりました。それについて⾏って私もケンコ先⽣たちとコミュニケーションをとるようになり、そうするうちに役所や銀⾏などの⽇本語書類の読み書きを頼まれるようになりました(笑)。まだコロナ前だったので、バーベキューや学園の⼦どもの誕⽣⽇パーティーにも呼んでもらえるようになり、そこで⼦どもや親とも仲良くなりました。関係が深くなったきっかけは2019年の幼保無償化が始まったときに書類を作成したり経理をやったりして、サンタナ学園の事務に関わり始めたことです。その後コロナが始まり、運営にも関わるようになりました。

※真ん中(車の奥)の建物が始まりの家です。そこから見て右のプレハブ小屋、青い建物、左の家2軒がサンタナ学園です。住宅地の奥の一角 にこの空間が広がっています。


⽇本を⾒えないところで⽀えているサンタナ学園

 遠藤: サンタナ学園は社会的にどういう役割を担っていると⾔えるでしょうか。
 
柳田: 居場所、家族、架け橋、何でも屋…といったところでしょうか。

遠藤: それぞれ、詳しく教えていただけますか。
 
柳田: まずサンタナ学園は、保育・教育の場というのが⼤前提です。しかし、⽇本の保育園や学校などに馴染めなかった⼦が多く来る場所ということを考えると、「居場所」の側⾯が強いとも⾔えます。学園の⼦どもたちは、学園と家しか生活の場がありませんから。
 学園の⼦ども、親、先⽣に学園のイメージを聞くと、みんな⼝をそろえて「ビックファミリー」と⾔います。ケンコ先⽣も「ティア・ホーザー」(ケンコおばちゃんの意味)と呼ばれています。子どもも親もケンコ先⽣には何でも相談できますし、 ケンコ先⽣は話を聞き、必要に応じて役所や警察につないでくれます。⽇本⼈コミュニティがサンタナ学園と交流したいと言えば、ケンコ先⽣は必ずオッケーしてくれますので、学園が社会との「架け橋」にもなっています。
 サンタナ学園は送迎バスが出るのですが、それが⽚道3時間、往復6時間になるときもあります。⼦どもが少し⾵邪っぽくても、親が仕事を休めない状況であれば預かりますし、こちらで病院にも連れていきます。コロナで10万円の給付を受けるための書類作成を手伝ったこともありました。また、フィリピン⼈の⼥の⼦を受け入れたこともあります。この⼦は元々⽇本の保育園が満員で入れず、やむを得ず家庭保育になりました。しかし⺟は⽇中仕事に出なければならず、⼩学⽣の兄が学校に行かず妹の⾯倒を見ていたのです。まさに今で言うヤングケアラーです。その後紆余曲折を経て、妹の預かり先として最後に流れ着いたのがサンタナ学園でした。その妹は⼀年半いたのですが、1か月後にはポルトガル語でケンカできるようになっていましたね(笑)。家でもポルトガル語を話すほどまでになり、学園で友達もでき、楽しく過ごせたようです。このようにバスの送迎、通院、行政の手続きから最後の受け皿と してまで、まさに「何でも屋」としての機能があります。
 その妹は日本の小学校に上がるのを機に退園しましたが、日本語が話せないので、小学校ではまたゼロからやり直しです。⽇本の保育園に行けていたら、もっと⽇本に馴染めただろうと思いますし、もう少し何とかならなかったのかなあと思ってしまいますね。⽇本のルールから外れてしまった⼦を最後に引き受けているという点で、サンタナ学園は⽇本社会を裏からサポートしているとも言えますが、「ブラジル人以外の外国人も最後に頼るところがサンタナ学園です」で良いのかなとは思いますね。

※ポルトガル語の教科書。1冊1万円で、年4冊必要とのこと。教育にはできる限り力を入れています。


「ブラジル人」だけでは括れない多様な子どもたち

村田: 実際に学園を見せていただいた時、⾚ちゃんがいるのが衝撃でした。
 
柳田: 学園には0歳の⼦もいますが、ここ3か月くらいでその数が増えました(取材時:2022年12月)。物価⾼でお⺟さんたちも働きに出なければならなくなったことが影響しているようです。元々ブラジル⼈が⽇本に多く来るようになったのは、労働⼒として彼らを迎え入れたい⽇本側と、国で仕事がなく出稼ぎに来たいブラジル⼈側との双⽅に利益があったからです。だから始まりとしては良かったのかもしれませんが、⽇本側は彼らを労働⼒としてしか見ておらず、「稼いだら国に帰ってね」というスタンスでした。ブラジル⼈たちも最初はそう思っていたかもしれませんが、⽇本でしばらく過ごすうちに⽇本で家族をもつ⼈もでてきます。日本で生まれたブラジル人の子どもをどうする のか、そういう⼈間的な側⾯があまり考慮されていなかったのかもしれませんね。
 
村田: 2割ほどの子どもに発達障害などがあると伺っていましたが、さらに赤ちゃんから高校生までいると生活が大変そうです。
 
柳田: そうですね。しかも年齢だけではなく、背景もかなり異なります。昨日まで日本の学校にいて今日からサンタナ学園に来ましたという子もいれば、同じ教科書を使ってブラジルで学んでいた子などもいて、みんな知識量が違って教えるのが大変なんです。そもそも日本の学校にいた子だとポルトガル語の読み書きもなかなかできませんからね。本当は一人ひとり見る必要があるくらいなんです。また、先生は子どもの親が担ってくれている状況です。
 
遠藤: 実際、サンタナ学園の子どもたちは、どういう困りごとを抱えているのでしょうか。
 
柳田: 学園にいる子たちは楽しく過ごしていて、正直あまり困っていないと思います。彼らが困りごとを実感するのは社会に出たとき、働きに出たときですね。とは言っても、今は地域のブラジル人コミュニティがあるので、そこで生活することを前提にしていれば社会に出てからもあまり困ることはないのかもしれません。
 
遠藤: 今のお話だけだと、地域で完全に世界が分かれてしまっているような印象を受けたのですが、その状態でも誰も困らないのでしょうか。

柳田: このコロナでその危うさが顕在化したと思います。ケンコ先生など、何人かが日本側と接点をもっていたから良かったですが、それが全く断たれていたら、かなり困ったことになっていたと思います。

※教室の様子。広さは十分とは言い難く、天井には隙間があり…

 

一緒にいる時間が「違う」を乗り越えられる

遠藤: サンタナ学園を中⼼とするブラジル⼈コミュニティと、⽇本⼈コミュニティとの関わりは多いのでしょうか。
 
柳田: 多くありません。もっと増やせれば良いなとは思うのですが、毎⽇の運営が⼤変で、そこにリソースを割く余裕がないというのが正直なところです。
 
遠藤: 関わりを増やす⽅が良いと思われるのはなぜですか。
 
柳田: 同じ⼟地に住んでいるからです。⽇本⼈とか外国⼈とか関係なく、同じ場所に住む者同⼠、周囲と⼼地良い関係性を築きたいと思うのは⾃然なことではないでしょうか。 ⽇本⼈が「外国⼈」と聞くと、どうしても「外国⼈観光客」をイメージしてしまうようですが、現実に近くに住んでいる外国⼈との関わりの⽅が重要ですよね。⽇本では特定の外国籍だとわかると差別されることがありますが、アジア系で言われなければ気づかない場合、知らない間は普通に接しているわけです。本⼈に何ら変わることがなくても、外国籍だと知った途端⾒⽅が変わってしまうことがあるのはなぜでしょうね。
 いまだに外国籍の⼦どもは義務教育対象外ですし、子どもの権利条約で国籍問わず⼦どもの権利は守られているのに、⽇本は⽇本だけの基準を使ってそれから外れてしまっている、⽇本において外国⼈は「いるのに、いないことになっている」、そう感じる時があります。
 関東では多国籍児童の受け入れを実現できている公立小学校もありますので、多様性を受容できる環境をつくることは、やればできると思います。
 
遠藤: 長く多様性に⾝を置いてきた柳⽥さんらしい視点だと思いました。それでは、サンタナ学園と⽇本⼈社会との関わりを増やすにはどうすれば良いでしょうか。
 
柳田: 一つは「遊ぶ」ことだと考 えています。⾃分がサンタナ学園と関わり始めたのは、やっぱりバーベキューや⼦どもの誕⽣⽇パーティーに呼んでもらったことがきっかけだったと思います。学園のことを知った⽇本人コミュニティの⽅は、「何かしてあげなければいけない」と思って来てくださる⽅が多いです。それはもちろん嬉しいし、ありがたいことです。しかし、「何かしてあげなければいけない」の関わり⽅は長期だとしんどくなってしまいますし、こちらも多少の申し訳なさがつきまといます。私が重要だと思っているのは「⻑期的な関係性」ですので、「ただいてくれるだけ」でも良いと思っています。それを続けてくれたら嬉しいです。
 二つ⽬は「ギブする」ことです。今までギブされる側であることが多かったサンタナ学園ですが、今度は学園の⼦どもが「ギブする側」になってほしいと考えています。そのために始めたのが農業です。ゆくゆくは⾼齢化が進む地域に出向いてお⼿伝いをできればとも考えています。今まではありがとうと言ってばかりだったので、ありがとうと言ってもらえる経験を積んでほしいです。そうなれば、きっと「教えてあげる、助けてあげる」の関係ではなく、偏見をなくしてフラットに⽂化をつくり合っていけるはずです。もうひとつ言うと、偏見をなくすには「回数」だと思います。「何かしよう」と思い続けるのは難しいですが、ただいるだけなら続けることもできます。そうやって回数を重ねていき、同じ時間を過ごすことで自然とフラットな見方ができるようになると思います。
 
遠藤: 遊ぶ。ギブする。すごく良いですね。「ただいてくれるだけでも良いから⻑期的な関係を」というのも、⾔われないと気づけませんでした。
 
柳田: ただ、遊ぶといっても実は難しかったりします。遊ぶのも大人とではなく、同世代と遊んでほしいですが、近所の⼩中学⽣と定期的に何かイベントをしようと思っても、土日だとサンタナ学園の先生に時間外勤務をお願いすることになるし、平日は学校側の受け入れハードルが高いなど、実現に⾊々課題があります。そこで最近考えているのが、フリースクールに通 う⼦どもたちとの交流です。フリースクールの子どもたちだと平日の昼間でも比較的時間に囚われず交流することが可能ですし、同じ子との交流を重ねることができます。その⼦たちと、⾔語を教え合うことができないかなと考えています。日本の友達ができれば、日本語を覚える意欲も出ますし、日本社会に馴染むきっかけになるかもしれません。 

未来をつくるため、学園を存続させる

 遠藤: 聞けば聞くほどサンタナ学園と日本社会との見えなかったつながりを感じるのですが、⽬下課題になっていることは何でしょうか。
 
柳田: とにもかくにも、まずは資⾦ですね。正直、来⽉ちゃんと存続できているかもわからないという状態ですから。
 
遠藤: 運営資⾦はどうやって賄われているのですか。
 
柳田: ⽉謝と寄付金です。安定した資金確保には⾮常に苦慮しているところです。サンタナ学園ではポルトガル語を話せなければ仕事ができません。しかし⽇本の制度に則って運営しようと思うと、⽇本の保育⼠資格を持っていなけれ ばいけません。ポルトガルの保育⼠資格を持っていてもダメです。仮に保育⼠資格も持っていてポルトガル語も喋れるという⼈がいても、そんな⼈は引く⼿数多でサンタナ学園には来てくれません。現場のニーズを満たしながら日本の基準を満たすのが難しい状況ですね。
 
遠藤: 悩ましいですね。少しでも状況を改善するため、こういう⼈たちにもっとこういうところを知ってほしい、というニーズはありますか。
 
柳田: 県外の⽅に伝えたいです。これまでの取材は県内、広がっても関西限定になってしまうことが多かったですが、クラウドファウンディングをしたときは、北は北海道まで県外からたくさんのご寄付をいただきました。内容はケンコ先⽣のやってきたことをそのまま伝えれば良いと思います。それをどう知ってもらえるかですね。ブラジル⼈だけでコミュニティが完結していると、⾃分達から⽇本側に何か言うような機会がありません。そもそも言う⽅法もわかりませんから。
 
遠藤: このSaiでの取材も発信の一つの機会にできればと思います。では、これからサンタナ学園をどのような場にしていきたいですか。
 
柳田: まずはサンタナ学園を存続させること、それが第⼀⽬標です。そのために公的支援など、安定した収入を得られるようになりたいですね。ゆくゆくは⽇本語を教科にしたいし、英語はさらに力を入れたいです。学習⾯では読み書き、コミュニケーション能⼒などの基本的な社会的スキルのほか、⾃分から調べたり、聞いたりする⾏動⼒、社会性を⾝につけてほしいと考えています。
 
遠藤: 現状でもサンタナ学園に通う⼦どもは公的な⽀援を受けづらい⽴場にあると思いますが、そういった状況が改善されると良いですね。
 
柳田: そうですね。ただどんな社会であっても、低所得者や⽣きづら さを抱えた⼈はいると思います。そして、ケンコ先⽣はその層を拾い続けていくのだと思います。
 
遠藤: 愛荘町の⼀⾓に、ここまで広がりをもつ世界が詰まっていることに本当に驚きました。今⽇はありがとうございました

編集者あとがき

 編集者あとがき(遠藤)

 「認識していない、関心を払っていないものは存在していないことと同じである」という一節を本で読んだ記憶がありますが、サンタナ学園は多くの人にとってそうなってしまっているかもしれないと感じました。僕としても今回初めてサンタナ学園を知りましたが、その存在意義を認識するにつれ、「社会ってこういう在り方でいいんだっけ?」という違和感を覚えました。自分とは「違う」から気にしなくても良いのか?なぜ大事なことほど見えづらいのか?
 普段はほぼ見えないけど、私たちがつながっている全体性を認識し、思いやりや尊重といったものを行き届けられるようにするためにはどうすればよいのだろうかと考えました。
 Saiにできることは、少しでも「つながりとその全体性」を可視化することであり、拡げていくことだと思っています。少しでも多様性を尊重し合える世界が拡がっていくことを祈って。今回も、お読みくださりありがとうございました。
 

編集者あとがき(村田)

学園を初めて訪れたとき、日本の住宅街の片隅にありながらどこか広い世界が存在しているかのような不思議な感覚を覚えました。食事の香りや楽器の音、カラフルな外観など文化的な要素もあると思いますが、子どもたちが来た背景や年齢が多種多様であることが影響しているかもしれません。(恥ずかしながら、外国人労働者の子どもが置かれている状況について考えたことがなかったため、さまざまな課題があるということを今回認識しました)
 柳田さんが話される言葉はどれも印象的でしたが、中でも「⻑期的な関係性」という言葉がすごく心に残っています。ただそこにいるだけでもいいから先ずは関わる時間を増やすこと、じっくり関係性を育むこと、これは全世界で共通する支援の秘訣ではないかとも感じました。自分の胸に刻みたいと思います。良い時間をありがとうございました。

編集者紹介

編集者 遠藤 綜一
滋賀県職員。予算経理に6年間従事し、その後児童養護施設を担当。多い時は年200冊読む本の虫。好きな作家は中村文則。
 
編集者 村田 初音
大学卒業後、児童福祉の現場で3年間従事する。事務は2年目。シャルル・ペローと誕生日が同じ。江國香織が好き。

私信のようなもの

とある人から、「Sai(サイ)」とは、韓国語で「狭間」という意味があると教えていただきました。「際」をつなげるべく狭間に身を投じているSaiにはピッタリです。今回で5回目となるSaiですが、これまでの取材はすべてご縁(ご紹介)で実現しています。この取組も思った以上にじんわり広まっているようで嬉しい限りです。良いものと強い思いこそ人を介して伝播していくと思いますので、これからもじっくり作って、ゆったりつなげていきたいと思います。

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