年賀状の整理で得たこと
2日前のこと。年賀状を整理していて気付いたことがあったので、せっかくなのでここへ書いていたのに、他のことをしていたら投稿を忘れてしまっておりました😅
コロナ自粛中だからこそできた貴重な体験だった。「いつか整理したい」は、僕の中で「懐かしさを味わう→処分する」だったが、コロナのおかげでこうしてゆっくり味わいながら愉しむことができたし、自分を勇気づけてくれるツールとして「厳選→コンパクト収納」ということで落ち着いた👌
先生も人の子ですね(笑) 昭和と平成の境目あたりが僕が最も年賀状を書いていた時期、小6〜高3ぐらいの頃。35年以上も前のことだから当時の先生方は今の僕よりも年下という…なんとも複雑な気分。普通、先生はたくさんの生徒から年賀状をもらい、それに対して返事を書くというスタイルだと思う。多過ぎるから最初から返事など書かないと決めている先生も少なくないだろう。そんな中、一生徒に時間を費やしてくださる先生がいる。文章内容でどれだけ自分のことを考えてくれているのかが推測できる。当時はそんなことをほとんど考えなかったが、時を隔ててこうして読んでいるとありがたくて涙が出てきた。担任ではなく、教科担任の先生からの返事はやっぱり薄い。でも、そうであっても2年連続で送ると前年よりやや中身は濃くなり、3年4年と続けばもうその先生にとって自分は「年賀状を送ってくれる特別な生徒」となっている(笑)
どんなところにも「学び」はあるなと思った。相手に敬意を表し、感謝を伝える。すると相手もややガードを下げてくれる。たまたま1度だけそんなことをしてもダメ。でも、2度3度と回数を重ねていけば、(多くの場合)こちらの思いは届くものだ。次第に信頼へと変わっていく。過去の年賀状からも「他人目線」の大切さだとか「他人への寄り添い方」のヒントが転がっているんだなと思えてうれしくなった。
高校時代は体育教師を目指していたんだっけ。そのことを年賀状を使って小中学校の恩師に伝えていたことも読み取れた。他人の本心などわからないとは言え、教え子の言葉を受け止めて激励の言葉を返してくれる。もう既に亡くなられた先生もいらっしゃるが、まだやりとりのある先生にはもう一度会いたくなった。あらためて機会を見つけ、お礼がてら雑談でもできたらいいなぁ。
僕は、特に礼節を重んじる教育を受けていないので、俗に言う日本の風習や決まり事の類に疎いが、親からのしつけと野球部での習慣によって挨拶だけは当たり前になった。その延長なのかわからないが、「尊敬できる人」と「心を動かしてくれた人」には感謝をし、その気持ちを伝えたいという思いが湧き出てくる。それが毎年の年賀状という形となっていたのかな。当時の気持ちなど覚えていない。でもクラスや部活の友達だけでなくお世話になった先生方にも毎年出し続けたのは、今思うと両親や野球部で出会った指導者、先輩方のおかげのような気がする。ありがとうございました!
受験や進学の節目にあたる時期に先生方から頂いたメッセージもありがたかったが、それとは別にウルッときたのが平成21年に頂いた多くの励ましや労いの言葉だった。離婚、退職、転居をした年で、当時の職場関係の方々のほとんどが「定型文」だけでなく一言添えてくださっていた。中にはこちらの気持ちを察し、かなりの時間を要してくださったと推測できるものもあった。思い出したという感覚はまったくなくて、まるで覚えていない。当時はそれほど病んでいたんだと思う。
あれから15年以上も経つ。そして、去年をもってお付き合いとしての年賀状はやめてしまったが、特定の恩師と「特別な配慮をしてくださった恩人」への連絡ツールは絶やさないほうがいいと思った。
神様、コロナ様、思わぬ感動と気付きをプレゼントしてくださり、ありがとうございました😊🙇♂️
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