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改めて、自己紹介

一体何者なんだとよく言われますし、そこそこ歳いったおじさんだと思われてることも多いです。
一応、30代半ばです。


経歴としては、若いときはスポーツやアウトドア業界で過ごしてきました。
年取ってからあの時こうしていたらとか、もっと遊んでおけば良かったとか思う大人にはならないようにしようと高校の時に決めました。

スノーボードのインストラクターやラフティングのインストラクターなどをしていました。

20歳の頃に出会った東京の経営者の誘いで都市伝説で関さんがよく話をしている秘密の結社と言われる、なんとかメ◯ソンの事を知りまして、
この頃くらいには世界の見方や考え方の基礎が出来ていたと思われます。
世界がひっくり返った感覚と本当に多くの知識が一気に身に付いた時期でした。

その後22才頃に株のトレードや投資信託を始めました。

この頃は事業で様々な事にがむしゃらで取り組んでいて収入も同年代の中ではかなり高かったので資産はほとんど投資に注ぎ込んでいました。

リーマンショックで投資資金の大半が水の泡となったこともあります。

でも投資をやめたことはなかったです。

周りの経営者の先輩方から、
『諦めずに挑戦し続けるから勝ち方がわかるんだよ』
といつも言われていました。

小学校の時に言われた

『継続は力、努力は天才を越える』

という言葉を忘れずに生きてきましたが、社会に出てからもこの言葉は至るところで支えとなってくれました。

26歳の時に一度立ち止まり、
これから先の人生を考えるために3カ月程南国の発展途上国の島で現地の人達と暮らし、人としての生き方を学び、今の考えの軸となっているビジネスの在り方を学びました。

帰国し手始めに大企業で組織を学ぶために上場企業に入りました。
凄いレベルの高い仕事をイメージして入ったのですが簡単すぎて拍子抜けしました。

一年程いましたが、様々な業種の企業5社からお誘い頂きましたが、
ほとんど即決で、その中の外資系の金融機関に行くことにしました。

金融機関が世界の支配ピラミッドのトップにあることはいろんな世界を見るなかで分かっていたので、その世界が見てみたかったのが一番の理由です。

入ってみると、思ってたよりさらにドロドロの世界。

有名大学から来てる頭の良いエリートな人達から辞めさせられようと色々な手段で圧力を受ける日々でした。

大迫とは違う半端なさでした。

こんなにムカつく事が人生にはあるんだなと毎日思っていました。
日が経つにつれて僕に圧力をかけていた人が一人また一人と辞めていきました。

激動の日々が365日絶え間無く続いていました。

この頃、日本の象徴と言われるお方の関係の方と知り合い、とても面倒を見てくださり助かりました。
もののけ姫のデイダラボッチみたいに生も死も司るみたいな人でしたが僕は何とか生かしてもらえたようです。

入社して4年経ち副所長になり管理職の内情も見ることが出来ました。
これは良い勉強になりました。

ヘッドハンティングされ、面接を受けに来て入社する確率は8%、さらに入社して丸2年生き残れる確率も8%、その二年生き残った人達の中で丸10年生き残れる人もまた8%というデータでした。

そして所長経験者の平均寿命が63歳だと知り、出世する選択肢を消しました。

所長になるかどうかの選択の時に、タイミングが良いのか悪いのかFXでかなりの額が消えました。

EU離脱とか揉めてた時です。

そこが転機で、やはりもっと金融で上の世界に行かないと、いつまでも資産溶かす状況になるなと感じました。
すぐに決断し1ヶ月経たずに会社を辞めました。

プロのトレーダーとの交流もあり、その人と関わることで新たな道が拓けました。

今はFX関連、仮想通貨関連、決済システム、マイニングマシンなどストック式のビジネスをメインに金融事業全般に関わりながら展開しています。

Winwinが成り立たなければ事業は長続きしないという考えを会社の軸にしています。

たくさんの素敵な方々に支えられ生きることが出来ています。

将来は関わっていただいた素敵な人達と毎日バーベキューでもしながら楽しく話ながら過ごしたいと思っています。

当面の目標はこれからも僕と会って関わっていただけた方には利益を積み上げてもらいたいです。

その利益がまた次の投資の機会を作り、良いスパイラルで過ごしてもらえたら良いなと思っています。

ざっくり自己紹介はこんな感じです。

怪しいアカウントからクリーンなアカウントへのリニューアルが、さらに怪しくなっていなければいいなと思います(笑)


この記事はInstagramに2018年7月9日に掲載されたものを元にしています。




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