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曖昧さへの耐性

むかし、男ありけり
伊勢物語の有名な冒頭です。
「むかーしむかし、男がおったそうな。」ん?昔だろうが、今だろうが、人類が誕生してからは、男はいるでしょ!とツッコミたくなります。

伊勢物語のプロフィール
・主人公:在原業平
・種類:恋愛もの
・歴史:いろんな人が補足を追加して作られたと思われる
・特徴:日本人の感性(みやび)に合致する

在原業平のプロフィール
・おじいちゃん:平城天皇
  でも、天皇の権力闘争に負け、在原の姓を授かることになりました。
  天皇と関係があったのですね。
・職業:歌人
・趣味:姉妹を覗き見て、初恋に落ちる。
  自分の裾を破いて歌を書いて姉妹に渡す。今では確実に問題になる。
  「むかし、男、初冠(ういかんむり)して」
・特徴:人妻についてぼんやりと物思いに耽る「西の京の女」
・一般的な評価:希代のプレイボーイ
・専門的な評価:歌の達人

東下り

背景:都の恋人を思いながらも、東国の八橋(今の愛知)へ下る
イベント:「かきつばた」を句の頭につけて旅の心を詠めという無茶ぶりに対して、以下を詠む。鬼才ですね。
 :からころも
 :着つつなれにし
 :つましあれば
 :はるばる来ぬる
 :旅をしぞ思ふ

「みやび」とは

 伊勢物語では「みやび」という特徴があります。この「みやび」とは、以下の2つの定義があると思います。

①白黒付けずに、曖昧さを追求すること。
 最近では、インターネットで調べれば何でも答えを教えてくれます。例えば、この「みやび」という言葉もググれば、「ものの趣を解し、けだかく、動作なども優美なこと。風雅。」と出てきます。でも、「みやび」とはそういうことではないのです。
 ソーシャルディスタンスとは2メートルの距離をあけることではなく、花の香りが届く範囲であるということ。のように、客観よりも主観に重きが置かれます。したがって、誰かが決めたことではなく、貴方が決めたこと(感じたこと)に定義が委ねられます
 確かに客観性があった方が多くの場面で便利ですね。100メートルを9.58秒で走ったといえば、世界一の速度で走ったということが分かります。しかし、100メートルを鳥の鳴く長さの時間で走ったといわれても、どの鳥のことなのか、どのような場面で鳴いたときのことなのか。と思うでしょう。仕舞には、統計学を持ち出して、カラスは餌があるときに鳴く長さが平均値でもしくは中央値では10.23秒であるというようなことを言い出すかもしれません。現代人であれば、意識しない限り曖昧さを受け入れることが難しいのです。どうしてもハッキリとさせたいのです。

②謙虚さ
 謙虚さには様々な意味がありますが、ここでは人は全部分からないことを意識することとします。ソクラテスの「無知の知」ですね。
 またインターネットの話に戻りますが、ググれば簡単に「知」ったつもりになることができます。しかし、その「知」は、その人にとっての「知」であり、「知」の全貌ではありません。100人いればそれぞれの「知」があり、全てが異なります。そしてその「知」は相手の脳をハッキングしない限り、知ることにはなりません。否、脳をハッキングすることは、相手の経験を得ることに等しく、それは相手そのものになり、自分とその相手のズレを意識することすらできなくなります。となると、差異が明確にできず、結局は全部を分かったことにはならないのです。

伊勢物語を現代に読む意義

 このように、「みやび」を考えると、如何に現代は曖昧さを無くす方向に進んでいるかがわかります。伊勢物語を読むということは、「曖昧さへの耐性」を付けることなのではないかと思うのです。


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