【雑記】内側に入り込む、あるいは成り切る

没頭するということ、三昧であるということ。それらはチクセントミハイによってフローなどと呼ばれたりする。あるいはゾーン。しかしそのような心理学的な枠組みとは別に、仏教、特に禅においてはシンプルに「なりきれ」とよく言うものである。あらゆる煩悩の透き通った世界がそこに現象する。

禅における無字の公案では無に成り切れと言われる。成り切るとはどういうことか。孫引きになるが、山田無門老師の言動を引用する。

『碧巌録』の第四十三則に「洞山無寒暑」という公案があります。
岩波書店の『現代語訳 碧巌録』の末木文美士先生の訳を参照させてもらいます。
僧が洞山に問うた、
「寒暑が来たら、どう避けましょうか」。
洞山「どうして寒暑の無いところへゆかぬ」。
「寒暑のない処とはどんなところですか」。
洞山「寒い時には、そなたを凍え切らせ、熱い時には、そなたをこの上なく熱くするのだ」。
というものです。
末木先生の註釈には、
「寒時寒殺闍黎」というのは、
「寒い時には寒さに徹底し、暑い時には熱さに徹底せよ、寒中に熱あり、暑中に凉ありの意。寒さ暑さに徹底すれば、並みの寒暑は苦にならず、避けるに及ばぬということ。」
と書かれてあり、更に、
「寒暑を生死の悩み、煩悩と見なすこともできる。
「殺」は、動詞の後について、その程度のはげしさを現わす。 愁殺、痛殺などと同様に、とうていやりきれぬ気分を添える。」
と解説されています。

山田無文老師の『碧巌録提唱』には、
「この殺という字にはコロスという意味はない。
よく世間でも黙殺、笑殺というが、これと同じように意味を強めているのである。
闇黎はここでは和尚というぐらいの意味である。
「寒い時にはナア、寒さになりきってしまうのじゃ。 暑い時にはナア、暑さになりきってしまうのじゃ。 そこが無寒暑のところだ」と。」
と説かれています。
更に無文老師は、
「寒い時には、素っ裸になって水でもかぶらっしゃい。
暑い時には、炎天へ出て野球でもやらっしゃい。そこが無寒暑のところだ」と提唱されています。

悲しい時は「悲しい」になりきる、https://www.engakuji.or.jp/blog/37277/

以下は、参考記事。

人は何にでも「なりきる」ことができる。それこそが意識の原初的な存在形態なのだ。しかし私たちは「なりきる」ことが難しいように感じる。それはあまりに「なりきる」ことを特別視しているからではないだろうか。我々はすでに「私」になりきっているというのに。

我々は様々な舞台装置の上に生きている。換言すれば、社会の上でその役割になりきっていると言うべきか。学生は学生として、社会人は社会人として。すでになりきっているのである。そしてその役はいつでも舞台装置と密接である。家族という舞台装置では家族の役をこなし、友達という舞台装置の上では良き友を演じる。一方で新しい舞台装置は役が決まらずあたふたしたり、既存の舞台装置で役以外のことを演じるのは難しいものである。

「なりきる」とはもっと自然に、自分から行うものなのだ。つまり舞台装置が私の役割を決めるのではない。私がなりきるからこそ、舞台装置が現象するのだ。

しかし禅の目指すところはもっと深い。なりきる「私」というのは常に透明である。自我とかプライドとかそういう執着を取っ払った世界を指すのだ。それが自由なのである。ちょうど子供がごっこ遊びをするように、その世界は円融無碍なのだ。

従順になれと言っているのではない。舞台装置にふさわしい役を演じろとも言っていない。私というのを曝け出せというわけでもない。そういうものすら飛び越えて、今ここに集中するのである。今ここであなたは何に成り切るべきか。

観察対象者と観察者の関係をラポールと言うが、下手なバイアスを入れずに、あくまで自然な観察を行うためには、自然なラポールが必要なのである。自我を出しすぎてギクシャクとするか、あるいは相手側が配慮をしては自然な事象を摘み取ることはできない。自然なラポールにおいて目指すべき姿というのは透き通る私なのだ。

「なりきる」ことで私は自由になる。全ては思い通りのまま。世界で遊ぶ。自由自在の世界がそこに現象するのだ。

井筒はそれを内側から理解することと説明した。最後に彼の文章を引用しておこう。東洋哲学の理解の方法論についての説明の文章である。

 次に、この方法論的操作の第二段として、こうして取り出された東洋哲学の根源的パターンのシステムを、一度そっくり己の身に引き受けて主体化し、その基盤の上に、自分の東洋哲学的視座とでもいうべきものを打ち立てていくこと。
 三年前の夏、スイスのエラノス学会の食卓で、D・ラウフ教授が、熱っぽい口調で、私の耳に吹き込むように言った言葉を、私は時々憶い出す。「我々西洋人は、今や、東洋の叡智を、内側から把握しなければならないんです。まったく新しい『知』への展開可能性がそこに秘められているんですからね」と。ラウフ(Detlef Ingo Lauf)は現代ヨーロッパ屈指のチベット系タントラの大家。同じスイスの思想界の一部でカリスマ的存在だったジャン・ゲプセル(Jean Gebser)の提唱する「精神の比較現象学」(vergleichende Phanomenologir des Geistes)の立場の熱烈な支持者でもある。が、それはともかくとして、西洋人としての主体性を失うことなく、しかも東洋思想の深部にまでもぐりこんで、それを内側から、つまり実存化した形で、了解していこうとするラウフ氏のこの態度、私は非常に面白いと思った。西洋人を俟つまでもなく、先ず我々東洋人自身が、己の哲学的伝統を内側から、主体的実存的に了解しなおす努力をしなければならないのではなかろうかと、その言葉を聞きながら私は考えていた。
 それは、東洋の様々な思想伝統を、ただ学問的に、文献学的に研究するだけのことではない。厳格な学問的研究も、それはそれで、勿論、大切だが、さらにもう一歩進んで、東洋思想の諸伝統を我々自身の意識に内面化し、そこにおのずから成立する東洋哲学の磁場のなかから、新しい哲学を世界的コンテクストにおいて生み出していく努力をし始めなければならない時期に、今、我々は来ているのではないか、と私は思う。

井筒俊彦『意識と本質』後記


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