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「くるりのえいが」を観たら「図鑑」が聞きたくなる現象

公開二日目に新宿で見ました。
映画になると発表があってからずっとソワソワしてました。
何故ってドキュメンタリーにしろ創作にしろアーティストの映画って独特で異質で映画として誰かに勧めるの難しいから、もしも観てすっごく知り合いに見て欲しくなった時になんて勧めたら?て考えただけでソワソワしたんです。

自分は「ファンデリア」でくるりと出会って、何故かLIVE見る機会を悉く逸したので森さんが叩いてるの見たことがありません。だから森さん見られる!てだけでもソワソワしました。ものすごく。

きっと読まれても意味が分からないと思うんですが、森さんのドラムをえいがで見て「あ!やっぱり森さんは垂直でドスン系だ!」と自分が聞いて想像していた通りのプレイだったことに本当に感動しました。

これは耳で聞いた印象なので言葉にするのは難しいにも程があり、絶対に伝わらない自信が満々ですが、森さんの音の中で特にタムが垂直なイメージでした。まっすぐに振り下ろされる感じがするのです。

エレクトリックなリズムと比べるのは間違っていると分かっていますが、New OorderのBlueMondayを初めて聞いて大好きだ!と感じた、垂直に落とされる太い音が連なるリズムに聞こえました。
森さんの音がこれに似ていると思えて仕方なかったです。
あまり出会う事のない音でした。

佐藤さんのベースを弾かれる動きが好きです。
今回も気づくと佐藤さんの動きを目が追っていました。
あの大好きな動きと共に流れ出る幅のある滑らかな音の連なりが好きです。
森さんが垂直(縦方向)の音なのに対して佐藤さんは横に大きく広がるイメージです。
二人が同じ空間で音を絡ませておられるのを見られただけで本当に幸福です。

くるりは初めて聞いた時から不思議と「歌詞」がやってこないバンドです。
日本語で歌っている限り、歌詞はイヤでも耳から脳みそに入ってきて、全体の楽曲のイメージを固定していきます。
それは悪い事ではなく、ある時は和らかな幸福感を、ある時はやるせない寂寥をまたある時は言い知れない怒りを齎し素晴らしい増幅器だったりします。

洋楽を聞いている時はどうでしょうか?
リアルタイムにその言語を聞き取れない自分は、まずはメロディやリズムや様々な好きなパーツを拾い、そして最後に歌詞を自分の理解できる言葉に置き換えてやっとアーティストの叫びを感じとります。
でも例え歌詞の意味が分からなくても音として何かを受け取っていたりします。

自国の言語の歌詞で全部が一つになってしまい、それを言葉として意識しなかったアーティストは「はっぴいえんど」「RCサクセション」「久保田真琴&夕焼け楽団(又はSunset Gang)」と「くるり」です。
こうした歌詞が音と同一に入ってくる現象を勝手に「クエッ!クエッ!チョコボール現象」と呼んでます。(クエッ!は不要です。偉い人にはワカランのです。嘘です)
つまりコーティングしているチョコに対して中がピーナッツだろうとキャラメルだろうとビスケットだろうと口に入れた途端の美味さはチョコボール以外の何物でもない→→→歌詞を分離する間もなく一個の音としてメロディが入ってくる的な感覚かな?(うまく言えない、涙)

えいがの中で岸田さんがリリックは降ってくる的に言われていたのを聞いて、やっぱりチョコボールだと勝手に納得しました。

伊豆スタジオでのやりとり、音を作る過程、でっかいエビフライ、言葉を交わす三人、音で話す三人、伊豆の日差し、緑の鮮やかさ、伊豆の海、個人的に大好きな大室山、京都の人のこだわり(岸田さんの「京都言うても実家は洛外やし…」のところ)(ウチは三代続いた江戸っ子だけど京都の人のが頑固かもw)その他の諸々諸々諸々諸々…。

くるりは本当に気の抜けなバンドです。
次に何を仕掛けてくるか予想ができないです。
それでいて何を聞いてきたのかをとても素直にトレースしたりします。
だから何年経っても目が(耳が)離せないのだろうと思います。

くるりのえいがは欠片でもくるりを聞いて気になったら見て欲しい映画です。
くるりを一度でも好きになったら見ないではおられない映画でした。

#くるり #くるりのえいが