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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第17章

 第17章 伝説の奇襲 先発小笠原孝~2007年~

 クライマックスシリーズ創設年の中日は、2位からのスタートだった。 2位の場合、まずは第1ステージを3位チームと戦って、先に2勝した方が第2ステージへ進むことができる。
 第2ステージへ進めば、優勝チームと日本シリーズ進出を懸けて戦う。

 第1ステージの舞台は、2位中日の本拠地ナゴヤドーム。対戦相手は3位の阪神である。

 10月13日の第1戦は、当然のように中日のエース川上憲伸が先発する。川上は、上々の出来で7回無失点に抑え、打線も7点を奪って7-0で快勝する。

 翌日の第2戦も、1回裏に中日が5点を奪って早々と試合を決め、先発中田賢一の好投もあって5-3で2連勝を飾り、第2ステージへ進んだ。

 そして、問題の10月18日、中日×巨人の第2ステージ第1戦が行われる。巨人は、予定通りエース内海哲也。中日の先発は、巨人の予想では右の山井大介だった。常識的には山井の他に考えられるのは、3本柱の1角である朝倉健太、そして、中4日でエース川上である。

 いずれにせよ、右の先発と読んだ巨人は、7人の左打者を並べた。

 しかし、そこで中日が先発として送り込んだのは、左投手の小笠原孝だった。小笠原は、故障明けで3か月間白星から遠ざかっていた。

 巨人とは相性が良かったとはいえ、既にクライマックスシリーズ第1ステージの第2戦で中継ぎとして2回を投げている。
 この試合に投げるとなると、中3日しか空かない。

 小笠原が先発に回ると予想する者はいなかった。短期決戦では、最初に中継ぎ起用されれば、その後も中継ぎをする、というのが常識だったからだ。

 しかし、森繁和投手コーチの考えは違った。まず中継ぎでテストしてみて、調子が良ければ、次の試合に先発で起用しよう。
 そんな戦略だったのである。

 完全に読みを外された巨人は、打線が沈黙。先発小笠原は、すいすいと5回1失点に抑えた。
 5回までに4-1とリードした中日は、そこから小刻みな継投に入って5-2で逃げ切る。

 翌日の第2戦ではエース川上が満を持して中5日で先発し、7-4で勝利。さらに第3戦は中田が先発して4-2で勝ち、一気に3連勝で日本シリーズ進出を決めたのである。

 このクライマックスシリーズの象徴と言えば、間違いなく第2ステージ開幕投手小笠原孝だろう。

 私は、小笠原の先発を全く予想できなかった。普通に考えれば、その日の先発は、3本柱の1角である朝倉だったからだ。
 朝倉でなければ、次は、シーズン終盤に強い山井となる。
 小笠原は、5番手の扱いで、クライマックスシリーズでは中継ぎでもし第5戦までもつれれば先発があるかも、と思っていた。

 この当時、誰もが奇襲小笠原先発を落合の策略だと思っていた。
 まるで織田信長による桶狭間の戦いのような鮮やかな奇襲に、落合の姿が重なったからである。

 しかし、のちに落合は、2004年の開幕投手川崎憲次郎以外は一切決めていなかったことを明かす。

 つまり投手起用を全面的に任せていた森繁和の策略だったのだ。
 だが、当時はまだ落合の策略だと誰もが思い込み、巨人は、勝手にパニックに陥り、あっさり敗れ去った。

 落合が内部情報を漏らさず、誰がどんな権限を持っているかすら分からなくしていた、という点で、既に奇襲小笠原先発も落合の策略と言っても過言ではない。

 他球団から見れば、落合が指揮を執る中日は、一体何をしてくるか分からない、何を考えているか見えない、という不気味さを常にまとっていたのである。

 クライマックスシリーズ初年度のこの年は、1位に何のアドバンテージもなかった。第1ステージから勝ち上がった球団は、エースが第2ステージ第1戦に登板するなら中4日で投げなければならない、というのが唯一のアドバンテージと言えた。

 ただ、中日は、そこを逆手にとって奇襲の小笠原先発で逆に1位球団を混乱させ、一気にクライマックスシリーズの流れを引き寄せたのである。

 クライマックスシリーズをセリーグも導入したのは、パリーグの成功例も1つの要因だが、それ以上に巨人が中日・阪神にペナントレースで勝てなくなってきた、という側面も大きかった。

 それが1位にアドバンテージをつけなかった要因なのだが、2007年は巨人が予想に反して優勝してしまったため、逆にアドバンテージなしが仇となって墓穴を掘ることになった。

 巨人は、この失態に対し、慌てて翌年から1位にアドバンテージをつけるよう働きかけ、1勝のアドバンテージと4戦先勝制という1位有利の制度に変えさせることとなる。


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