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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第6章

第6章 前代未聞のコメントを連発し、独走優勝~2004年~

「井端のサードゴロが収穫といえば、一番の収穫」
 これは、2004年5月11日にヤクルトに敗れて最下位に沈んだ試合後、落合が発したコメントである。
 井端弘和は、この試合で5打数無安打に終わり、0-2で迎えた6回裏1死1塁の場面では、サードゴロ併殺打に終わっている。
 当時、落合の意味不明発言として一部メディアでは話題になった。何せ、最悪の結果とも言える併殺打を褒めたのである。このようなコメントを出した監督は、プロ野球史上前代未聞だった。

 確かに井端は、好調ではなかった。この試合を含めて直近5試合で15打数3安打。左方向へのヒットもなかった。この試合も、サードゴロ併殺打のあと、2打席を凡退している。結果だけ見れば、褒める要素は、どこにもなく、けなす要素しかないのである。

 落合は、選手を決してけなさない。どれだけふがいない結果を出したとしても、なじろうとはしない。選手が怒られるのを避けようとプレーするのを防ぐためでもあり、選手を守るためでもある。

 選手の結果が出ないのは、起用した監督が悪いのだから監督がすべての責任をとる。それゆえに、目先の結果だけにとらわれず、その前後の流れまで見ることができるのだ。
 結果は、最悪であったとしても、間違ったことをしていなければそれを認めるという姿勢を落合は、マスコミを通じて選手たちに知らしめようとした。

 落合が井端のサードゴロを褒めたのは、不振に陥りかけていた井端だけでなく、チームの打線自体が低迷しかけていたからである。そんなときに積極的にバットを振り、強いサードゴロを打った井端を評価したのである。

 その言葉は、早くも翌日に実を結ぶ。井端は、左方向への安打を3本放つなど4打数4安打と調子を取り戻し、打線は15安打を放って大量9得点で勝利したのである。その勢いのまま、井端は、この年、初のシーズン打率3割超えを記録し、リーグを代表する打者へと成長を遂げていくことになる。

 この年の中日は、6月22日に首位に浮上すると、安定した戦いぶりを見せる。危機があったとすれば、7月29日から31日にかけて3連敗を喫し、2位と2.5ゲーム差で8月に入ったときだろう。
 しかし、その3連敗目でも、落合のコメントは、他の監督では決して出てこないものだった。

 その試合は、中日が1点を先制したが、6回表に英智が捕れそうなレフトフライを落としてしまい、逆転を許す。記録ではエラーにはならなかったものの、明らかなミスである。中日は、再逆転できないまま、3連敗を喫することになったのである。

 当然、試合終了後、記者たちは、戦犯とも言える英智に対するコメントを求めた。
 落合は、穏やかにこう答えている。
「あいつが捕れなきゃ、誰も捕れない」
 この言葉こそ、私が8年間で最も衝撃を受けた言葉である。他の監督なら、厳しく叱責する、スタメン落ちをほのめかす、といった主旨の言葉が並ぶはずである。
 しかし、英智の突出した守備力と走力を高く評価していた落合は、どこ吹く風の前代未聞なコメントを残したのである。当時、レギュラーを捕る勢いだった英智のミスを完璧なまでにかばい、翌日は、何もなかったかのようにスタメンで起用した。
 結果的に、英智は、その後も素晴らしいプレーを見せて、福留がアテネ五輪で抜けた穴を必死に埋め、リーグ優勝に貢献するとともに、ゴールデングラブ賞を獲得したのである。

 中日は、3連敗で7月を終えたものの、8月に入ると他チームが失速する中、厳しいキャンプで培った猛練習の成果が出て安定した強さを見せる。アテネ五輪で守護神岩瀬と4番打者福留が抜ける状況でも、8月を15勝8敗の好成績で終える。岩瀬の穴を投手陣では岡本真也・落合英二・平井正史らが埋め、福留の穴は、アレックス・英智・井上一樹・大西崇之らが埋めたのである。

 さらに、9月にはアテネ五輪から戻った4番打者福留が骨折して離脱し、球団再編騒動で2試合がストライキで中止になるというハプニングがあったものの、13勝8敗で切り抜け、10月1日の広島戦では敗戦しながらもリーグ優勝を決めた。

 開幕投手川上憲次郎のあおりを受けて開幕第3戦に投げ、他球団のエースと対戦しないローテーションで回ったエース川上憲伸は、確実に勝ち星を重ね、17勝を挙げて最多勝を獲得する。

 落合野球は、1年目から投手を中心とした守りの野球を貫いた。打率はリーグ5位で本塁打数は最下位ながら防御率はリーグ1位を記録。
 落合は、1年をトータルで考え、波が少ない安定した成績を残して最後にチームが一番上の位置にいられるように、と考えた。それゆえ、少ない得点を投手陣と守備陣が守りきる野球を1年間実践したのである。

 日本シリーズでは3勝2敗と王手をかけながら、西武の松坂大輔・石井貴の好投によって連敗を喫し、50年ぶりの日本一は逃したものの、監督1年目の成績は文句のつけようがなかった。

 補強なしで勝てるはずがない。
 そんな前評判を覆し、リーグ優勝を果たしたため、もはや補強なしで次の年もいける。周囲は、そう考えてしまうものだが、落合は、そうは考えなかった。
 落合は、2年目にして初となる、ある部分の補強を断行する。


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