ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第52章
自らが退場となることでチームを守った落合
先日の「【公式】落合博満のオレ流チャンネル」で、落合が退場回数歴代3位だったことを知った。
選手時代2回、監督時代6回の計8回。
選手時代の2回は、いずれも守備中、セーフの判定に抗議した結果だ。
落合は、選手・監督時代を通じて、審判とトラブルを起こしても何のメリットもない、という考えを持っていた。私は、選手時代に審判の判定に抗議しているのを見た記憶がなかったから2回退場になっていたことに驚いたほどだ。
しかし、監督時代の退場は、記憶に残っている。
2006年7月5日巨人戦 遅延行為
2009年5月28日楽天戦 遅延行為
2009年10月11日ヤクルト戦 遅延行為
2010年8月24日巨人戦 遅延行為
2010年9月18日ヤクルト戦 暴言
2011年8月9日阪神戦 遅延行為
遅延行為が5回、暴言が1回。
最初の5年間では1回の退場だけ。最後の3年間で5回も退場になっている。
2009年のWBC日本代表に選出された中日の日本人選手が全員辞退し、世間から中日への風当たりが強くなった後から増えているのが興味深い。
暴言の退場は、激しい優勝争いを繰り広げる中で、中日の守備時にライト線への明らかなファールをフェアと判定されて、審判を「下手くそ」呼ばわりしたためだ。
落合が監督8年間で怒っている姿を見せたのは、この1回だけしか私の記憶の中にないので、よく覚えている。
残りの5回の遅延行為は、冷静に審判へ抗議し、5分間を超えたため、ルールによって退場になった。
遅延行為で5回も退場になったのは、後にも先にも落合だけ。勝利への執念で、後に引かない姿勢をチーム内外に見せつける効果は大きかった。
それにしても、最初の2年間には1回も退場がなかったのに、なぜ2006年から必ず退場になる遅延行為を自らするようになったか。
私は、1つだけ思い当たる理由がある。
2005年5月5日のヤクルト戦だ。
この試合の5回にヤクルト藤井秀悟投手から顔面付近に投球された中日の四番打者タイロン・ウッズは、激高して藤井の顔面を殴打し、10試合の出場停止処分を受けたのだ。
この事件によって四番打者が抜けた中日は、それまで首位を独走していたが大きく失速し、結果的にリーグ優勝を逃すことになる。
ちょっとした隙が生んだV逸。
2006年以降、落合は、揉めそうな判定には自らが真っ先に前面に立って審判に抗議するようになる。
そして、絶対に引かない姿勢を示して、自軍選手たちの暴走を抑制したのだ。
そうすれば、選手たちが無駄に出場停止処分を受けなくて済む。投手起用を森繁和コーチに一任していた落合にとって、自らがその試合で退場になったとしても、大きな痛手にならない。しかも、暴行ではなく、遅延行為であれば、審判との関係も悪化しない。
つまり、落合は、監督自らが身を挺して退場となることで、選手たちの退場を防ぎ、チームを守ろうとしたのだ。
同じ失敗を繰り返さず、審判の疑惑判定に対しても隙を見せなかった落合。
2006年以降6年間で6回もの退場は、妥協なき勝利への執念が生み出したと言っても過言ではないだろう。
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