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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第3章

第3章 落合博満が繰り出したサプライズ~2004年~

 「サプライズ」という言葉が流行したのは、2004年である。小泉純一郎首相が武部勤を幹事長に起用し、田中真紀子を大臣に起用した人事などが「サプライズ」と話題を呼んだ。
 「サプライズ」は、競馬のCMにも使われ、さらには、いろんな人々が日常生活で使うようになって、全国に浸透。流行語となった。

 そんな中、落合監督の開幕投手川崎憲次郎起用もまた、「サプライズ」として有名になった。
 小泉首相退陣後も、落合は、山井交代をはじめとする様々なサプライズ采配を見せる。そのため、サプライズは、小泉純一郎よりも落合のイメージの方が強くなってしまった感さえある。

 現在も語られることが多い就任1年目だけ見ても、サプライズは多い。
 現有戦力10%の底上げで優勝発言、1年間の解雇凍結、2月1日のキャンプ初日に紅白戦、6勤1休の質量ともに豊富なキャンプ、川崎憲次郎の開幕戦先発、攻撃よりも守備に重点を置いて起用する采配など。

 しかし、それよりも私が特筆しておきたいサプライズが2つある。
 まず1つは、落合が森繁和を投手コーチに起用し、投手陣に対する全権を任せたことである。

 驚くべきことに落合と森は、それまで一切交友がなかったという。2人は、アマチュア時代に日本代表のチームメイトとなったことがある。またプロ野球選手としても活躍していた時期もある程度重なっている。
 だから、球場で話をすることはあっただろうが、それ以上の親交はなかったのである。

 なのに、落合は、なぜ森に投手陣をまるごと預けたのか。
 これは、落合の著書『采配』にもあるように、現役時代の落合が投手でなく、打者だったためである。投手の状態を正確に見極めて指導や起用を行うなら、投手出身者が最適だからだ。

 そこで、西武の黄金時代を知りつくし、常に主力投手・投手コーチとして活躍し続け、1度もユニフォームを脱いだことがないほど重宝されていた森に声をかけたのである。

 企業で働いているとよく分かるのだが、権力を持った者は、すべてを自らが決断したがる。
 些細なことですら、自らが決定権を持って思いどおりにしないと気が済まないタイプが多いのだ。
 そうなると無知な分野、あるいは不得意な分野に手を出して失敗する確率が高い。

 落合は、おそらく自己分析で投手分野については無知だと自覚していたのだろう。
 かつて、落合が現役引退後に野球中継の解説で、こんなつぶやきをしたことがある。
「それにしても、どうしてピッチャーは、昔の投球術を忘れてしまうのかな」
 そのとき、投げていたのは、若い頃、エース級として活躍した投手だった。
 落合のつぶやきに、別の投手出身の解説者がこう諭した。
「今の球威じゃ、昔の投球術だと、打たれてしまうからだよ」
「ほほぉ」

 落合は、こうした投手出身の解説者との会話をはじめとして、解説者として経験を重ねた。
 その結果、自らは投手分野が不得意だから投手出身者に任せた方が良いという結論にきっとたどり着いた。

 落合は、2004年の開幕第1戦の先発以外は、8年間にわたって森の投手起用に一切口を挟まなかったという。これは、簡単なようであるが、難しい。負けが込んだら、普通の監督なら我慢できず口を挟んでしまうだろうから。

 そのほかにも、高代延博、長嶋清幸も同様に、選手・コーチを通じてユニフォームを着続けてきた選手。そして、石嶺和彦は、現役時代に最も内角打ちが上手かったと落合評価している名選手。落合は、どの球団もが必要とするコーチ、卓越した技術を持つコーチといった能力重視の選択をしたのである。

 この4人は、いずれも選手時代に中日でプレーしたことがなく、いわゆる「外様」である。彼らを主要なコーチに抜擢できたのは、落合が球団との監督契約時に、すべてのコーチ人事権を監督が持つ、という条件を監督就任の必須事項としたからである。

 こうして落合が個性豊かな4人の外様コーチを起用し、それぞれが自らの持ち味を存分に発揮できる場を提供したとき、もはや2004年の中日がどのような成績を残すかは、約束されていたと言っても過言ではない。


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