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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第24章

 第24章 球団史上最高の外国人四番打者を手放すという常識を超えた選択 
     ~2008年-2009年~

 2008年は、北京五輪で主力が疲弊した状況があったとはいえ、落合自身も、監督生活最低の3位となったことで、一転して苦境に立たされることになった。

 10月下旬には、タイロン・ウッズが年俸700万ドルから300万ドルへの大幅減俸提示を受け、退団濃厚という報道。

 そんな中、11月上旬に中日は、落合との3年契約を発表。それとともに、タイロン・ウッズと契約を結ばないことを発表した。

 11月下旬には中村紀洋が楽天移籍を表明し、中日退団が決定。森野のサード再転向によってファースト転向を伝えられた中村紀洋がサードでのレギュラーにこだわるため、楽天に移籍した。

 翌2009年1月中旬には、かねてより大リーグ挑戦の意志があった川上憲伸がアトランタ・ブレーブスと契約して中日退団が決まった。

 四番打者タイロン・ウッズ、エース川上憲伸、中軸打者中村紀洋が抜ける。
 私には衝撃の連続だった。

 2008年は、福留孝介が抜けて3位に落ちたのだから、さらに3人が抜けたら……。
 2009年は、Aクラスに入れないかもしれない。私の脳裏をそんな思いがよぎった。

 落合は、彼らの退団に対して慰留しなかった。福留の大リーグ挑戦のときもそうだったように、落合は、選手の希望を最大限に尊重し、口を挟まない。
 それがときに非情に見えたりするが、あくまで選択権のある選手たちには、自分のことは自分で決めるべき、というプロ意識を求めている。

 タイロン・ウッズに示した年俸減は、私にとって立浪のレギュラーはく奪以来の驚きだった。

 ウッズは、来日以来、横浜で2年連続本塁打王に輝いた他、中日でも2006年に二冠王を獲得。日本の6年間ですべて35本塁打以上、計240本塁打を放った超優良外国人選手だった。中日でも歴代最高の外国人選手との呼び声が高い。

 2008年のウッズは、打率.276、35本塁打、77打点。本塁打数も打点数もチームトップである。クライマックスシリーズでは7試合で5本塁打を放つ活躍を見せた。
 他球団にとって最も脅威となる打者がウッズだった。

 その一方でウッズは、2009年には40歳となる高齢で、1塁守備にはかなりの難がある。2008年はリーグ優勝も逃した。今後、打撃での上積みは期待できないから、2009年に期待する年俸となれば700万ドル(約6億6000万円)を減にせざるを得ない。

 中日は、思い切って300万ドル(約2億8000万円)を提示したようである。どうなるかは、もはや明らかだった。

 結果、ウッズは、退団を選んだ。

 ウッズとしては、2008年は日本一となった2007年と同等の成績を残していただけに、高齢とはいえ半額以下の年俸で契約する気にはなれなかったのだろう。

 前年と同等の活躍をして、前年より年俸が半減以下になる、というのは、私が知る限り、初めて目にした。

 落合は、コーチの人事権を一手に握っていたが、選手の人事権は一手に握っていたわけではないようである。
 そのため、落合と球団が協議してその提示になったようだ。落合自身は、ウッズの実力を認めていたが、こうコメントを残している。
「チームがもう1歩踏み出すため」(日刊スポーツ 2008.11.5)

 どんな名選手でも、40代になると本塁打数や打率が激減する傾向がある。
 落合は、ウッズの成績がこれから下降していくのみ、と想定したのだろう。新しいチーム作りのために、敢えて冷徹になって、2006年のリーグ優勝と2007年の日本一の立役者ウッズを手放したのだ。

 落合は、抜けた選手たちの穴埋めを安価な選手で行う。タイロン・ウッズに代わる四番打者として、ドミニカからトニ・ブランコを年俸3000万円の安価で獲得した。川上の代わりとしては、ドミニカ人のパヤノ、浪人中の河原純一、新人で伊藤準規、岩田慎司を獲得した。中村紀が抜けて森野がサード再転向するにあたり、外野の一角が空くため、社会人ナンバー1外野手野本圭を獲得する。

 落合野球の原点とも言える、投手を中心とした守りの野球を再度作り上げるための決意だった。

 とはいえ、主軸3人が抜けたにもかかわらず、獲得したのは、実力や状態が未知数の安価な選手ばかり。

 下馬評は、当然のように低く、シーズン前のマスコミや野球評論家の評価はほとんどBクラスだった。何せ2008年は、戦力が整っていながら3位であり、チーム打率は、リーグ最低の.253だった。
 単純にデータから分析する人々がBクラスを予想するのは無理がなかった。

 しかし、落合は、強気に優勝を狙う姿勢を崩さなかった。「一番面白いシーズンになる」と、むしろシーズンでの巻き返しを楽しもうとしているようにさえ見えた。

 ところが、WBCで中日選手がすべて不参加だったことがシーズンに大きな向かい風として吹き荒れることになる。


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