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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第27章

 

第27章 閉塞感と誹謗中傷されながらも、ぶれない落合の信念~2009年~

 2009年のシーズン後、落合は、「初めて負けたという感覚を持った」という旨のコメントを発表する。

 確かにこの年は、チーム打率でも、チーム防御率でも、そして対戦成績でも巨人に敗れた。特に対戦成績は8勝16敗と、落合政権最悪の成績が残ったのである。

 この頃の中日と巨人の違いを見るには、巨人の原辰徳監督がこの年のリーグ優勝時に読売新聞に寄稿した手記で解明できる。
「チームを強くするには、外国人選手、FA、トレードによる補強、全てが必要だ。しかし、よみうりランド(ジャイアンツ球場)で泥んこになって鍛えられた選手が、東京ドームのスポットライトの下で大歓声を受ける姿がどれほどチームに影響を与えることか。」(読売新聞2009.9.24)

 巨人は、1990年代半ばから、外国人選手、FA選手、トレードで獲得した選手が中心になってリーグ優勝を勝ち取ってきた。
 そして、2、3年リーグ優勝から遠ざかると、なりふり構わぬ補強をする。2007年からのリーグ3連覇は、その成果だ。

 2009年には外国人選手としてグライシンガー、ゴンザレス、クルーン、オビスポ、ラミレス、李承燁が揃い、FA選手としては小笠原道大、豊田清、トレードで谷佳知、マイケル中村、木村拓也、大道典嘉、工藤隆人と選手はそろっていた。

 それに加えて、大量保有する育成選手の中から山口鉄也、松本哲也の2人が台頭し、ドラフト入団選手の中からも内海哲也、東野峻、越智大祐、坂本勇人、脇谷亮太といった若手が台頭してきた。

 まさに考えられる限りのあらゆる補強をして作り上げた巨人がこの年のチームだったと言える。

 特に、外国人選手については、他球団で既に活躍していて、実力と日本野球への適性が確かなグライシンガー、ゴンザレス、クルーン、ラミレス、李承燁といった選手を揃えたことで、スカウト陣の目に頼ることなく、確実な補強をしたのである。

 この戦力では、実際のところ、優勝しないことの方が難しい状況ではあった。
 だから、シーズン前の世間の想定通り、圧倒的な強さでの優勝という結果とが出た。

 その一方で中日の場合は、落合の希望により、巨人のように莫大な投資はしなかった。
 安価な外国人選手と中日入団を希望するFA選手、そして、他球団で出場機会に恵まれない選手による補強が主だった。そのため、所属先無しで浪人寸前だった三塁手中村紀洋を除いてはポジションが被る選手を補強しなかった。
 あくまでレギュラーが確定していないポジションへの補強にとどめていたのだ。

 さらに、巨人と異なるのは、中日ではレギュラーがいるため、出場機会に恵まれないが他球団で必要とされる選手は、落合が積極的にトレードで放出してきた。鉄平、小山伸一郎、関川浩一、森岡良介、新井良太などである。

 こうして落合は、無駄を省いた必要最小限の戦力のみでチームを作り、プロ野球全体の活性化への貢献も怠らなかったのである。

 原の優勝手記の中で、マスコミ報道によってあまりにも有名になった中日批判は、中日の実情から見れば、完全に的外れであった。
「WBCに中日の選手は一人も出場しなかった。どんなチーム事情があったかは分からないが、日本代表監督の立場としては『侍ジャパン』として戦えるメンバーが中日にはいなかったものとして、自分の中で消化せざるを得なかった。

 野球の本質を理解した選手が多く、いつもスキのない野球を仕掛けてくる中日の強さには敬服するが、スポーツの原点から外れた閉塞感の様なものに違和感を覚えることがある。
 今年最初の3連戦、しかも敵地で中日に3連勝出来たことは、格別の感があった。」(読売新聞2009.9.24)

 この年の巨人は、原の個人的な怨恨から、中日戦に全精力をつぎ込む執念を見せてきた。それが功を奏して圧倒的なリーグ優勝を果たすことにつながりはした。だが、見解は明らかに誤りであり、長期的な視野に立つ中日の底力も見誤っていた。

 WBC出場辞退のとき、岩瀬・森野・和田は、体調が万全でないこと、浅尾は、年間通して活躍したことがないこと、高橋は、調整面で不安があること、といった理由を公表した。特に岩瀬と森野は、北京五輪で過激な国内批判を受け、WBCに出場できる精神状態ではなかった。

 落合は、中日の監督に就任後、一貫してペナントを勝ち取ることを第一優先としてきた。契約上、それが落合の最大の任務であったからだ。

 ゆえに、選手にも落合の考え方が浸透していて、選手は、自らの状態と立場を冷静に判断したとき、いずれの選手もWBCを二の次とせざるをえなかったのである。

 逆に、原は、かつての巨人の栄光を笠に着ていた。日本人選手は、お国のために全力で戦わなければならない。そんな軍国主義的な考えの下で『侍ジャパン』を指揮したわけだ。
 アマチュア中心の大会とは異なり、出場するリスクの大きさに対する考慮と配慮が欠如していた。

 今となっては、WBCは、国を挙げて全力で一丸となって玉砕覚悟で戦うべき舞台ではなくなった。2017年に大会が行われて以降、新型コロナウイルスの影響もあって2021年の大会は延期となり、次回大会は現在、2023年に延びている。今後、開催が継続するのかも未知数だ。
 日本でも開催延期を嘆く声が聞こえてこないほど、注目度は低い。

 参加したい選手、メリットを感じる選手が参加すればいいエンターテイメント。時を経てWBCは、そんな位置づけに落ち着こうとしている。

 日米野球程度の関心しか示そうとしなかった落合は、当時からWBCの本質を見抜いていたのかもしれない。

 だが、2009年の原は、WBCを他国との戦争のように扱い、中日を批判した。ペナントレースを優先する選手たちや、チームの内情を全くマスコミに漏らさず、故障者情報や先発情報も一切流さない中日のやり方を「スポーツの原点から外れた閉塞感」と表現した。

 それは、原自身が戦前から続く高校野球のような爽やかさとひたむきさのスポーツマンシップを理想としているためだ。

 しかし、それは、自らの生活がかかる職業野球の世界では通用しない。WBCに力を注いでいたら、他の選手に足元を救われかねない厳しい世界なのだ。

 また、監督が寝ていても勝てると揶揄される巨大戦力を保持する巨人であれば、多少選手が減っても正々堂々と試合をしていれば勝てるのだが、他の球団はそうもいかない。
 自前の選手を鍛え上げて、シーズン通して働けるよう調整をして、いかにして有利に戦いを進めていくかを綿密に練り上げなければ、巨人の上に行くことはできないのだ。

 それは、裏を返せば、巨人が他球団には真似できない資金力と人脈を駆使して、スポーツマンシップに反するほど巨大な戦力を抱えているからに他ならない。

 2009年の中日は、WBCに参加しながらも強かった巨人の巨大戦力に屈することにはなったが、落合野球の一貫した信念は、翌年と翌々年にいかんなく発揮されることになる。

 原の手記を読み返してみると、原は、寄せ集めの戦力が個々の実力通りに機能した2009年の圧勝を、自らの指導力、育成力の成果という大きな誤解をしてしまっている。

 巨人は、育成選手2人の奇跡的な活躍により、リーグ3連覇が外国人選手と他球団選手を中心とする寄せ集めの賜物であることを忘れて、この年から育成中心へのチーム作りへ切り替えて行こうとする。

 それにより、巨人は、翌年、翌々年とチーム力を落としていき、お家騒動とまで呼ばれた清武騒動へと突き進んでいくのである。

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