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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第12章

 第12章 物議を醸した福留のオールスター欠場~2006年~

 この年の中日は、打率・防御率ともにセリーグ1位を記録し、全5球団に勝ち越しという、いわば完全リーグ優勝であった。

 しかし、2位阪神とは打率で3厘、防御率で0.03しか違わない。そのわずかな差が3.5ゲーム差になった、とも言えなくはないが、その差以上に優勝争いはし烈を極めた。

 2005年にリーグ優勝を果たした阪神は、この年も強かった。

 井川・下柳・福原・安藤を中心に安定した先発陣とJFK(ジェフ・ウィリアムズ、藤川、久保田)の圧倒的な投手力。打線も赤星・金本・鳥谷・シーツを中心につながりがあった。

 しかし、中日も、川上・朝倉・山本昌・佐藤充・中田といた投手陣が充実し、リリーフも平井・岡本・岩瀬でJFKに匹敵する成績を残した。打線ではウッズ・福留・荒木・井端・森野・アレックス・井上らが安定した成績を残した。

 そんな拮抗する戦力の中で中日がリーグ優勝できたのは、勝つべき試合を確実に勝ったことにある。

 オールスター前に首位中日と2位阪神は1.5ゲーム差しかなかった。しかし、オールスター直後のナゴヤドーム直接対決3連戦で中日は投打に圧倒して3連勝を飾り、4.5ゲーム差に広げる。この3タテが中日の独走を加速させたと言っても過言ではない。

 ここで阪神との勝負を分けたのは、福留がオールスターゲーム後、初戦の阪神戦から3試合連続お立ち台の活躍を見せたことである。

 しかし、この福留の活躍を予想できたのは、おそらく落合1人だったにちがいない。

 なぜなら福留は、右膝の故障でオールスターゲームに出場してなかったからである。

 前半戦終了時、福留は、右膝故障から1軍復帰に向けて2軍で調整していた。そのため、福留は、状態が万全でないことを理由にオールスターゲームを辞退したのだ。

 オールスターゲームを辞退すると、通常は10試合出場停止処分が下される。しかし、特例規定で故障によるやむを得ない場合は処分の対象外になる。

 ペナントレースを第一と考える落合は、福留に出場辞退を指示した。

 オールスターゲーム期間を調整に充てた福留は、特例規定により、シーズン後半戦の初戦からスタメンで出場する。
 そして、福留は、初戦の3回裏に先制タイムリー二塁打を放つと、4回にも追加点となる2打席連続タイムリー二塁打を放つ。

 この試合を7-2で制した中日は、2戦目でも7回に2-2の同点から福留が決勝点となるタイムリー安打を放ち、5-2で勝利する。
 さらに、3戦目では、3-1とリードした6回に、福留が豪快な2ラン本塁打を放って勝負を決める。

 福留は、この3連戦で故障を感じさせない大活躍を見せ、首位争いをしていた阪神を3タテで突き放したのである。

 これは、阪神首脳陣や阪神ファンを中心に物議を醸した。そして、翌年以降、故障による特例が認められないことが決まった。

 とはいえ、2006年は、ルールを熟知した落合がルールの範囲内でこの特例を巧みに有効活用した。リーグ優勝のために、些細なルールも見逃さない落合の緻密な戦略がペナントの行方を決したのである。

 かつて、野村克也が落合を「他の人とは、見えているものが違う」と評したことがある。

 それは、野球ファンである私も、落合監督が指揮を執った8年間のうちに何度も感じた。

 プロ野球を研究し尽くし、どうすれば勝てるかだけを常に追求し続けた落合の思考は、もはや誰も真似できない領域に達しようとしていた。

 この年は、2位阪神と3位ヤクルトの差が14.5ゲームあった。つまり、圧倒的に中日と阪神が強かったのだ。
 しかも、ペナントレースの鍵を握る9月は、中日が14勝9敗と好調であったが、阪神は、17勝4敗という中日をしのぐ成績で追い上げた。これほどまでの追い上げは、落合の想定以上で、8月には9ゲーム差あったのが10月7日には2ゲーム差まで縮まった。

 仮に10月8日の横浜戦で敗れれば、そのまま阪神に逆転を許しかねない状況にまで追い詰められたが、落合は、どんなに差を詰められても泰然自若とした余裕のコメントを貫いた。

 それは、投攻守すべての面で中日がわずかに阪神を上回っていることへの自信でもあり、監督が焦りや恐怖心を見せては選手の士気に影響することを知っていたからだ。

 中日は、ここでも10月8日から横浜・ヤクルト・巨人に3連勝し、阪神とのゲーム差を4に広げてリーグ優勝を果たす。重要な試合にことごとく勝利できた理由を求めるならば、落合のシーズンをトータルで考えた戦力配分が構想通りに実現したからである。
 それでも、10月10日のリーグ優勝後に見せた落合の涙は、阪神の追い上げがいかにすさまじかったかを物語る。

 10月8日の横浜戦は、一時は2-0とリードしながら、7回裏に3点を奪われて逆転を許し、8回表に2点を入れて再逆転するというシーソーゲーム。

 10月10日の巨人戦も、一時は3-0とリードしながらも3-3に追いつかれて、岩瀬を2回投げさせた挙句、延長12回に福留の決勝打とウッズの満塁本塁打で何とか勝つという苦しい試合であった。

 想定外の阪神の追い上げがありながら、構想通りの戦略で阪神をかわした落合会心のシーズンとなった。

 この年は、打線が爆発して圧勝する試合も数多くありながら、接戦も粘り強くものにするという勝ち方も多くあり、まさに落合が理想とするチームが出来上がった印象が強い。
 87勝54敗5分で貯金を33も作り、日本シリーズも圧勝に終わりそうな気配があった。

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