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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第10章

 第10章 失敗から学び、交流戦で見事リベンジ~2006年~

 落合にとって2006年のリーグ優勝は、必須条件だった。監督1年目の2004年にリーグ優勝してしまった以上、それと同等かそれをしのぐ成績を残すしか、2007年以降へつなげる道はない。

 3年契約最終年の落合にとって最もプレッシャーのかかる年になる。

 落合は、前年のⅤ逸により、さらなるチーム力強化を図った。ただし、前年のウッズ獲得のような補強はなかった。ドラフトで、後に落合政権後半で台頭してくる吉見一起、平田良介、藤井敦志といった選手を獲得したのが目立つくらいである。

 有望な新人と現有戦力をさらに鍛え上げることによって、完全優勝できるチームを作り上げようとしたのである。

 しかし、2006年は、前年とは打って変わってスタートダッシュはできなかった。巨人が好調に勝ち星を積み重ねて首位に立ったからである。

 それでも、中日は、慌てなかった。地道な戦いぶりで貯金6、首位と3ゲーム差で交流戦に突入したのである。

 2005年に落合がしてしまった交流戦軽視発言。

「交流戦は5割でいい」

 これは、リーグ優勝を逃した結果から判定すれば、明らかに失敗だった。

「成功を祝うのはいいが、もっと重要なのは失敗から学ぶことだ」

 これは、ビル・ゲイツの言葉である。

 成功する者は、数々の失敗する方法を見つけて、次からその方法を避けていくことにより、成功へたどり着く。

 2006年の交流戦前、世間では前年の悪夢を思い起こして、中日の失速を心配する声は多かった。

 しかし、落合は、前年のような失態を繰り返さなかった。

 「5割でいい」発言はせず、主力選手を欠かすことなく、万全の状態で交流戦に突入させたのである。

 しかも、落合は、2005年の反省を踏まえて常時10人を超えるスコアラーにパリーグ6球団を徹底的に研究させていた。

 まさに孫子の『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』である。

 周到な準備で交流戦に臨んだこの年の中日は、交流戦5試合目から5連勝するなど、前年と全く違う姿を見せる。

 そして、セリーグのチームを相手にするときと同様に勝てる試合を堅実に勝つ野球を見せる。

 その結果、交流戦を20勝15敗1分で4位というまずまずの成績を残した。前年に借金6を背負ったチームが貯金5を稼いだのである。

 その中でうれしい誤算として、若手投手の佐藤充が5勝0敗、防御率0.91という圧倒的な成績を残して台頭してきた。

 中日の成績も、前年とは逆になる。セリーグ2位で交流戦に突入した中日は、交流戦が終わったとき、2位阪神に1ゲーム差をつけてセリーグ首位に立っていたのである。

 この年も、前年同様、交流戦の成績がペナントレースの明暗を分けたと言っても過言ではない。

 交流戦まで首位を独走しようとしていた巨人は、交流戦を13勝23敗の11位と一気に負けこみ、ペナントレースから脱落する。一方で阪神が交流戦を21勝15敗の3位という好成績を残し、その後は首位の中日を阪神が追いかける展開が続くことになる。

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