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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第14章

 第14章 稀代の勝負師落合博満 vs 稀代のエンターテイナー新庄剛志の日本シリーズ~2006年~

 2006年の日本シリーズは、不思議な現象の連続を見ているようだった。

 中日は、第2戦以降、バントをすれば失敗、強攻策をとれば併殺打。投手を変えれば痛打される。鉄壁であった守備にミスが出る。それらの繰り返しだった。しかも、併殺打の後の打者がよくヒットを打ったりするのだから、本当に信じ難い光景である。

 私は、落合が日本シリーズの最後に、自らに言い聞かせるように残したコメントが頭から離れなかった。

「スポーツってのは強い者が必ず勝つわけじゃない」(デイリースポーツ 2006.10.27)

 ボクシングの絶対的な世界王者でも、一発のラッキーパンチによって敗北を喫することもある。FIFAの世界ランキング1位のチームがW杯で勝ち進めないのも珍しくない。賞金ランキング1位のゴルファーだって予選落ちすることもある。

 スポーツには絶対がない。たとえ最強であっても常に勝つ保証はないのだ。
 逆に言えば、だからスポーツは、面白い。

 たとえば、2006年のWBCでは、全員メジャーリーガーの最強チームで挑んだアメリカが2次リーグで早々と敗退し、メジャーリーガー2人で挑んだ日本が優勝を果たした。
 100試合戦えば、勝ち越すことが困難なチームが相手でも、短期決戦であれば勝つ可能性は高くなる。

 以前、野村克也は、テレビで次のような発言をしている。
「短期決戦は、ごまかしがきく」

 スポーツの短期決戦は、自らのペースに持ち込んだ方が有利だ。人目をまぎらわせたり、弱点を取り繕ったり、勢いで押し切ったり、奇策を用いたり。
 勝ち運に乗って、精神的に有利な立場で進めれば、強いチームも倒せる。

 2006年の日本シリーズで、そんな「ごまかし」を最大限に利用したのが日本ハムだった。

 世間の下馬評では、圧倒的に中日有利の予想。両チームの数字を比較すると、ほとんどの面で中日の方が上回っていたからだ。私も、中日が52年ぶりに日本一になるものと思い込んでいた。

 だが、数字通りに行かないのが短期決戦である。日本ハムは、第2戦以降、打つ手がすべてうまくいった。

 投手交代は、ことごとく成功し、バントやスクイズも成功が続いた。欲しいところでタイムリーヒットが出たし、試合を決めたいところで本塁打が出た。これも、ここまで何もかもうまく行っていいのかと思えるほどの不思議さである。

 5試合の両チーム合計安打数の差は、わずか1本であったのに4勝と1勝という差が生まれたのは、いかなるごまかしによってか。

 それは、多くの人々が指摘しているように、新庄剛志という強烈な希有なエンターテイナーが生んだ陽気さによってだろう。

 メジャーリーグから2004年に日本ハムに入団した新庄は、圧倒的な人気者となり、2006年4月にはその年限りでの引退宣言をしてお祭りのようなシーズンを疾走。日本ハムは、勢いに乗ってリーグ優勝を果たし、日本シリーズに進出してきた。

 新庄は、日本シリーズの前にこう漏らしている。
「ここまで来たらどっちが勝ってもいい」

 その発言は、誰が聞いても勝利への強い意欲を感じないものだった。しかも、シリーズが始まると、試合中も終始笑顔を見せていて、緊張感や悲壮感は全くない。

 一方、中日は、シーズン当初から日本一になることを最大の目的として1年間戦ってきたチームである。3年契約の最終年となる落合も、過去最高とも言える戦力を背景に、日本一になる自信を口にしていた。選手たちも、日本一への強い執念を持って引き締まった顔つきを見せていた。

 しかし、結果は、どっちが勝ってもいいと考えていた新庄が引っ張る日本ハムが日本一になってしまうのである。

 この日本シリーズを振り返って見ると、第1戦は、下馬評通りの結果が出ている。ダルビッシュを序盤で攻略した中日が川上・岩瀬のリレーにより、4-2で勝利を収めたからである。

 第2戦も、中日が6回まで2-1とリードする展開となる。ここまでは投手を中心とした守りの野球でしぶとく勝っていく落合野球のペースだった。

 しかし、7回表、これまでの日本シリーズで1勝も挙げていない山本昌が稲葉にエラーで出塁を許すと、新庄に安打を許す。さらに、盗塁を決められ、一気に調子を崩してしまう。そして、金子の逆転タイムリーで痛い星を落とすことになるのである。

 この場面は、シリーズの流れを大きく変えた。稲葉・新庄という攻守の要となっている選手を調子に乗せてしまったからだ。
 そして、山本昌は、またしても日本シリーズで勝てないというジンクスにはまってしまったのである。

 日本シリーズの流れは、第2戦の7回表に中日から日本ハムに移り、そこからはシリーズ終了時まで中日に流れが戻ることがなかった。

 第4戦が終わったあと、私も、内心ではもはや中日に流れが戻ることはないのではないかと感じていたが、中日ファンの同僚に聞いてみた。
「いくら川上でも、この流れは止められないだろう。あまりにも流れが悪すぎるから」
 どこかで相手の流れを止められるきっかけがあるなら、流れが変わる可能性はある。私は、そう願ったが、残念ながら、そのきっかけは最後まで訪れなかった。

 日本ハムは、ピンチになって、投手交代があると、新庄が外野陣を集めて話をする。そのときのポーズが片膝を立て、もう一方の足を後ろに伸ばし、頭にはグラブを被るという完全に観客を意識したパフォーマンスなのである。しかも、自慢の白い歯を光らせる笑顔で。
 投手交代の合間は、観客にとっては退屈ではあるが、少し真剣さに欠けるのではないかという批判も多かった。
 それでも、2006年は、きっちり野球でも結果を残してきた。

 日本シリーズでも、その底抜けな陽気さと勢いにやはりごまかされたとしか考えられないのだ。

 日本シリーズ第2戦の逆転劇のきっかけとなったのは、まぎれもなく新庄が1死1塁から、山本昌の絶妙にコントロールされた外角の決め球を泳ぎながら何とか当て、ライト線にポトリと落とした1本から始まった。見ている限り、あの球をヒットにすることは容易でなかった。

 打者の気分が相当乗っていなければ、あの結果にはならないはずの投球だったからである。つまり、新庄でなければ、凡打になっていた可能性は限りなく高い。

 しかも、あの試合では、新庄が直接、逆転打を放ったわけではない。だが、あのラッキーなヒットこそがすべての流れを呼び込む一打だった。事実、新庄の1打で1死1、3塁になった後、次打者鶴岡のときに新庄が盗塁を決めて2、3塁となる。そして、鶴岡の三振後、金子の逆転2点タイムリーが飛び出しているのだ。

 私は、第5戦で日本一を決めて監督より先に胴上げされる新庄を見ながら、かつて新庄を超えるエンターテイナーがプロ野球界にいただろうか、と考えてしまった。

 私が少年の頃から応援してきた落合やブーマー、桑田真澄や清原和博、野茂英雄らは、いずれも超一流選手ではあったが、さまざまなパフォーマンスを中心に考えるエンターテイナーではなかった。いずれも、並外れた成績を残すことによってファンを魅了してきた選手たちだった。

 野球選手という競技者として、最も必要なのは野球で少しでも良い成績を残すことであるからだ。その好成績が選手の人気を高め、チームの成績を高め、チームの人気を高めて観客を呼び込む。

 プロ野球界にもお祭り男と呼ばれるエンターテイナーがいなかったわけではない。かつては、代打オレで有名な藤村富美男や、すべての面で華があった長嶋茂雄、浪花の春団治と呼ばれた代打男川藤幸三、ハッスルプレーと陽気な言動で沸かせた中畑清、マウンド上で吠えたり、暴れたりするアニマル、パンチパーマとお立ち台でのマイクパフォーマンスで魅せる佐藤和広らが記憶に残る。

 だが、彼らは、いずれも野球のプレーがまず第一にあり、パフォーマンスは、それに付随するものでしかなかった。

 しかし、新庄は、野球とは全く関連のないパフォーマンスを随所に散りばめた。グラウンドにハーレーで登場したり、ドームの天井から宙吊りで現れたり、マジシャンのような脱出劇をグランドでやったり、バラエティー並の被り物で練習したり……。

 そんなバラエティー番組のような演出には、プロ野球はプレーでファンを呼ぶものだ、と考えている人々には不快に映ったかもしれない。
 プロボクシングの亀田兄弟は、試合の前後に行う過剰な演出やボクシング以外での過剰な露出が槍玉に挙がったほどだ。

 新庄の場合は、天性の陽気なキャラクターのせいで、どんなパフォーマンスをしてもアンチはほとんど増えなかった。

 新庄は、現代のプロスポーツのあり方において、大きな問題を提起したと言えよう。

 プロスポーツ選手は、競技のみに全力を注ぐべきなのか。それとも、競技以外の集客にも力を注ぐことが必要なのか。

 大リーグを経て、日本ハムに入団した新庄は、競技と同じくらいのウエイトをかけて、エンターテイナーとしての集客力アップに尽力するという革命を起こした。

 しかも、それは、想像以上の成功を収め、巨人の低迷で危ぶまれていたプロ野球人気への懸念を吹き飛ばしてしまった。日本シリーズでは北海道で瞬間視聴率が70%を超えるという奇跡まで起こしたのだ。

 その一方で、中日は、悪夢のような結末を迎えた。

 ナゴヤドームから敵地札幌ドームに移った3戦目以降は、完全に押され続ける展開となった。打線が沈黙したまま、投手が持ちこたえられず敗戦を喫する展開が3試合続いて敗れ去った。

 圧倒的に勝利するはずが、新庄の引退祭りで盛り上がる日本ハムに圧倒される結果となったのである。5試合で稲葉には打率.353、2本塁打、新庄には打率.353、森本にも打率.368と打ち込まれ、投手陣は防御率3.86、打撃陣も打率.232と精彩を欠いたまま、シリーズが終わっていった。

 短期決戦に勝つことはペナントレースで勝つよりも、時の運に左右される分、確実性が低い。逆に言えば、実力では少し劣っていても7試合中4試合に勝つ、という結果を導き出すことは、さほど困難ではないのだ。

 私が確実視していた、中日の52年ぶりの日本一は、第2戦からの呪縛されたような試合運びによって、無残にも消えていった。

 中日の選手たちは、新庄の引退祭りの雰囲気に飲まれてしまい、どんな状況においても、力を発揮できる精神力が欠けていたように見えた。
 勝負師落合でも、あの流れを覆すことはできなかった。

 勝負師の監督落合博満とエンターテイナーの選手新庄剛志のほんの一瞬の邂逅。

 思えば、落合野球を圧倒したのは、後にも先にも新庄剛志しかいない。

 そして、2006年限りで現役を引退した新庄剛志の代わりとなるエンターテイナーは今も現れていない。

 私は、2007年にもう1度、稀代の勝負師落合と稀代のエンターテイナー新庄の勝負を観たかった。
 今でも、新庄が引退していなければ、2007年の日本シリーズは、どんな戦いになっただろう、と思いを巡らすことがある。
 きっと、中日が徹底的に新庄を封じ込めようとし、新庄がその包囲網を突破しようと試みるせめぎ合いが見られたはずだ。

 2006年の日本シリーズ後、中日球団は、半世紀以上遠ざかる悲願の日本一を達成するため、落合と2007年から2年契約を結ぶ。白井オーナーも、落合に指揮を執らせておけば、日本一は時間の問題という見込みを立てていたのだ。

 こうして、2007年からの2年間で日本一を達成することが落合に課せられた使命となり、運命としか言いようのない2007年日本シリーズ第5戦へつながっていく。


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