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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第19章

 第19章 社会現象となった山井交代賛否の陰で落合が見ていたもの~2007年~

 日本シリーズ史上、『江夏の21球』と並んで最も有名な試合となった2007年日本シリーズ第5戦の『山井交代』。

 私は、この試合を見るために仕事を無理やり定時で切り上げてテレビの前に座ったことを覚えている。ただ、私は、この試合で勝てる可能性はかなり低いと見ていた。

 後のない日本ハムは、札幌ドームへ戻りたいからエースのダルビッシュ有を先発させてくる。それに対し、決して先発投手に無理をさせない中日は、5番手の投手を先発させる。そうなれば、いくら流れが中日にあって、ナゴヤドームの試合だからと言っても勝つのは容易でない。

 中日は、五番手の山井大介を先発に立てた。

 この年、山井は、シーズン後半からローテーションに定着し、6勝4敗、防御率3.36を残していた。山井の投球スタイルは、伸びのある直球と鋭いスライダーのコンビネーションである。83回で32四球という適度に荒れるコントロールが打者を幻惑させる。

 好調なときは、相手打者が手も足も出ない完璧な投球をする反面、球威がないときやコントロールが定まらないときは序盤から崩れるという極端さを併せ持つ。

 幸い、この日の山井は、好調だった。1回表の上位打線をあっさりと3者凡退で片付けた。

 打線も、2回裏にダルビッシュからタイロン・ウッズがレフト前ヒットを放ち、続く中村紀洋が右中間を破る2塁打を放って、無死2、3塁のチャンスを作る。そして、平田良介が先制の犠牲フライを放つのである。

 中村紀の2塁打がこの先制点を生み出したと言っても過言ではなく、中村紀は、4勝すべてに貢献したことでシリーズMVPを獲得することになる。

 山井は、好調ではあったが、内容を見ていると安打になってもおかしくない場面が2度あった。

 まず最初は、2回1死から工藤が放った3塁線へのゴロである。このゴロに対して3塁手の中村紀は、斜め上にジャンプして捕球するや、ノーステップで1塁へ矢のようなノーバウンド送球を見せてアウトにした。

 さらに、4回表には森本の痛烈な二遊間への打球を荒木が横っ飛びで補球し、これもノーステップで送球してアウトにした。

 しかし、この2度の場面が仮にヒットになっていたとしても、山井の投球は、危なげないものだった。山井が好調で、守備も完璧だったことに加え、3勝1敗と余裕があること、ナゴヤドームであること、そして、相手投手ダルビッシュも好調で、リズムよく試合が進んでいたこと。

 そうした様々な要因が重なって、山井は、難なく8回までを無安打無四球で切り抜けたのである。 

 あと3人抑えれば、日本シリーズ初の完全試合達成だ。

 8回裏、日本ハムは、試合を動かそうとしたのか、投球数が100球を超えたダルビッシュに代えて、セットアッパー武田久を送り込んできた。その武田久も、簡単に中日打線を3者凡退で退けて、ついに9回表が訪れる。

 球場が山井の完全試合を期待して騒然とする中、山井が登場しない。球場にはファンからの山井コールが響き渡った。

 そして、代わりに落合と森コーチが出てきた。落合が投手交代を告げる。

「ピッチャー岩瀬」

 そのコールで、球場がどよめく。歓声と、ブーイングと、驚きと、悲鳴が入り混じったかのようなどよめきだった。

 この投手交代は、試合終了後に物議を醸した。中日ファンは、53年ぶりの日本一になったことに満足している印象が強かったが、それ以外のプロ野球ファンにとっては、山井が史上初の日本シリーズ完全試合を達成するのを期待していたからである。

 東京を中心とするマスコミは、こぞって山井交代の采配を批判した。ただ、一部の現役監督と監督経験者は、その采配を擁護した。

 山井の交代については、落合の『采配』、森の『参謀』で詳しく語られている。

 山井が右手のマメをつぶして投げており、何とか8回まで投げようと必死だった。そして、8回を投げ終えた時点で森コーチに岩瀬への交代を申し出て、落合が了承して投手交代を告げた。それが真実である。

 山井が交代を申し出なければ、落合も森コーチもそのまま投げさせざるをえないと考えていた。だが、山井は、この試合で必ず日本一を決めなければならないチーム事情を理解して自ら交代を申し出たのである。

 落合は、そういった内情は、包み隠したまま、そのシーズンオフの間、自らが批判を浴び続けた。そういう形ですべての責任を負ったのである。この一連の結束こそが中日の強さの象徴だった。

 交代を告げられた岩瀬もまた、プロ野球史上最高の抑えにふさわしい働きを見せる。小走りに出てきた岩瀬は、緊張した表情ながら、普段通りの投球を披露していく。金子を三振、代打高橋をレフトフライ、小谷野を2塁ゴロに打ち取った。あっさり3者凡退で切り抜け、ついに中日は、53年ぶりの日本一を達成したのである。

 この投手交代から試合終了までの経過の中で、私は、1つ見逃していたことがある。通常であれば、最後の守りを固めるということで、レフトに上田が入り、レフトの森野がサードに入り、サードの中村紀がファーストに入るという守備固めがあるはずだった。守備に難のあるウッズは、ベンチに退くのである。

 実際、第2戦から第4戦までの3試合は、いずれもその守備固めで守り切っている。

 しかし、この第5戦では、落合が9回に代えたのは、投手だけである。緊迫が続く1点差だけに、4番打者ウッズをベンチに下げなかったのだ。つまり、岩瀬で確実に勝ちに行く投手起用をしながら、野手は、1点を失って9回裏が訪れてもいいように手を打ったのである。

 そこには、おそらく次のような目論見があったはずだ。

 岩瀬ならファーストにウッズがいたとしても0点で抑える可能性が高い。なぜなら岩瀬は、これまで日本シリーズで11回1/3連続無失点中だからだ。

 しかし、万が一、岩瀬が1点を失った場合、延長戦を考えると相手投手の武田久は2イニング目に入らざるをえない。そうなると、投球の精度は落ちるから、9回裏の先頭打者となるウッズは、そのまま残しておいて、9回裏にサヨナラで勝てる確率を上げる。

 山井・岩瀬のリレーで完全試合を成し遂げるよりも、まず勝利を最優先させたのだ。

 落合の采配は、岩瀬投入という究極の選択をしたときでさえ、冷静に野手と試合状況を見極めていた。そして、完全試合を逃して、さらに試合を落としてしまった場合、日本ハムの本拠地で行う第6戦・第7戦に勝つ可能性はますます低くなる。

 岩瀬投入を決断したとき、落合は、9回裏であっても、延長戦に突入しても、この試合を決死の覚悟で勝ちに行く采配を選択したのである。

 結局、岩瀬が尋常でない緊張感をものともせず、並外れた集中力で2人の投手リレーによる完全試合を成し遂げたため、9回裏以降は存在しなかった。マスコミは、いまだに投手交代ばかりに目を向けているが、落合が見ていたのは、さらにその先があった場合の展開なのである。

 この試合では、あえてウッズを下げないことで、9回裏の攻撃というプレッシャーを日本ハムに与え、日本ハムを逆に追い込む効果を作り出した。

 結果は、4勝1敗であったが、その差以上に緊迫したぎりぎりの戦略によって、生み出された日本一なのである。


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