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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第26章

 

第26章 低い下馬評を覆しての2位に落合の底力を見た

     ~2009年~

 2009年も、巨人の戦力は、圧倒的だった。

 それは、年間のチーム打撃成績、投手成績を見れば一目瞭然だ。

巨人  :打率.275、182本塁打、626打点。防御率2.94。
中日  :打率.258、136本塁打、579打点。防御率3.17。
ヤクルト:打率.259、116本塁打、526打点。防御率3.97。

 2009年の1位から3位までチームで投打の成績を比べれば、いかに巨人の戦力が突出しているかが分かる。

 元々突出した戦力にヤクルトからゴンザレスが加わり、さらに、坂本勇人・松本哲也・東野峻が急成長して極めて重厚な戦力が整ったのである。

 特に、この当時の巨人は、山口鉄也が育成選手から台頭して、チームの柱となるセットアッパーに成長していた。そのため、大量の育成選手を保有し、自前で生え抜きの一流選手を育てようという試みていた。

 その中から、この年は、松本哲也が走好守にすさまじい働きを見せて新人王を獲得する。

 巨人は、この2人の成功に味を占めて、補強をせずに自前の選手を育てて強くしようとする方針を前面に打ち出した。だが、それは、失敗に終わり、2010年、2011年とリーグ優勝を逃すことになる。だが、2009年に限っては、育成選手松本の奇跡的な成功によって圧倒的な強さでリーグ優勝に突き進む。

 一方の中日は、世間の下馬評が低かった。
 久しぶりにBクラスに転落するのではないか。そんな見方が大勢を占めた。

 それでも、落合は、「面白いシーズンになる」と予測し、リーグ優勝に対する意欲を見せていた。

 その意欲の一端が表れたのが、開幕投手浅尾拓也である。浅尾は、前年に7勝9敗6セーブの成績を残していた。どの球も一級品であり、この年には、さらなる飛躍は確実だった。

 落合が投手起用の全権を与えていた森繁和コーチは、浅尾にリリーフ投手としての素質を見出していた。しかし、浅尾が希望したのは先発だった。

 そんな浅尾を森は、開幕投手に指名した。

 中田賢一・朝倉健太・小笠原孝・吉見一起・山井大介といった先発で実績を残した投手陣を差し置いて、浅尾である。当然のように、浅尾を開幕投手に予想した人々はほとんどおらず、まさにサプライズ登板となった。

 しかし、この浅尾の開幕投手抜擢は、2004年の川崎憲次郎とは全く異なる意図を持っていた。開幕投手浅尾を決断した森は、線が細くスタミナに不安がある浅尾の適性がリリーフであることを早くから見抜いていた。

 そのため、先発を希望する浅尾をいかにしてリリーフに転向させるかを考え、開幕投手に指名したのである。

 つまり、シーズン序盤をローテーションの先頭で回し、先発の適正がないことを本人を早く納得させたうえでリリーフに転向させる。そんな、誰もが納得できる最善の方式をとったのである。

 落合が指揮を執る中日は、有望な若手の意思を尊重していた。

 落合は、のちに解説者として、大谷翔平がプロで二刀流挑戦を表明したときにも自らの信念を崩さなかった。
 ほとんどの解説者が「どちらかに絞らせるべき」と主張したのに対し、「本人がやりたいならやらせればいい。どちらも才能がありすぎ」と主張したのである。

 結果、大谷は、日本プロ野球でも大リーグでも二刀流を成功させたのだから、落合は、隻眼だった。

 浅尾は、開幕試合では好投して8回1失点で勝利投手になった。しかし、その後の先発では、試合の中盤から終盤にかけて崩れる場面が目立ち、5月には森の目論見通り、リリーフに転向することになる。

 選手には、まず自らが希望する内容でやらせてみて、結果的にうまくいかなければ、首脳陣が考える適材適所に配置する。そうやって、チーム作りをしたからこそ、中日は、少ない補強で安定した強さを維持できたのだ。

 2009年の下馬評が低かった中日。だが、主軸3人が抜けた穴を他の選手が埋めて、下馬評を覆していく。
 主砲タイロン・ウッズの代わりに安価で獲得したトニ・ブランコがウッズの穴を埋める活躍を見せた。さらに中村紀洋の代わりに森野将彦がサードに入り、森野の代わりに外野に入った藤井淳志がまずまずの活躍を見せた。

 そして、エース川上憲伸の代わりに吉見一起、チェン・ウェイン、川井雄太が台頭し、吉見は、最多勝を獲得、チェンは、最優秀防御率を獲得する好成績を残した。

 だが、その一方で、数々の誤算もあった。4月に守備の要である谷繁が故障離脱し、WBC不参加の影響で選手たちへの批判も根強く残っていた。巨人をはじめとする他球団は、そんな中日を相手に目の色を変えて勝ちに来たのである。

 それでも、中日は、ブランコが覚醒した6月からすさまじい勢いで、圧倒的な戦力を誇る巨人を追い詰めていく。5月半ばには最大9ゲームあった差を8月5日には1ゲーム差まで縮めたのである。

 しかし、そんな猛追も、8月25日からのナゴヤドームでの巨人3連戦で3連敗を喫したことで一気に優勝が遠ざかってしまう。この3連戦を機に徐々に後退した中日は、首位巨人に12.5ゲーム差をつけられて敗れるのである。

 続くクライマックスシリーズも完敗を喫した中日は、2年連続で日本シリーズ進出を逃す、という落合政権最大にして唯一の屈辱を味わうことになった。

 それでも、中日は、Bクラスというシーズン前の下馬評を覆す2位。前年よりも順位を1つ上げる健闘を見せた。

 エースと四番と主力打者が抜けて順位を上げる。

 そんな常識ではありえない結果を残した落合の底力を、私たちは、次の2年間でも、まざまざと見せつけられることになる。


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