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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第20章

 第20章 落合は、選手だけでなく、プロ野球ファンも教育した
 ~2007年~

 試合後、世間では、<山井が日本シリーズ初の完全試合達成>という大記録がなくなったことに対する失望の声が大きかった。

 2007年時点で完全試合を達成した投手は、過去15人しかいない。すべて公式戦での達成であり、日本シリーズでの達成はまだない。
 それだけにプロ野球ファンは、史上唯一となるであろう山井の日本シリーズ完全試合達成を見たかったのだ。

 しかし、継投で達成した完全試合は、日本シリーズだけでなく、プロ野球史上唯一の記録である。継投でのノーヒットノーランは、公式戦で3度達成されているが、継投での完全試合はないからだ。

 つまり、1人で完全試合を達成するよりも、遥かに希少価値なのである。

 さらに、山井が1回から8回まで打者24人を連続パーフェクトに抑えたのも、日本シリーズ新記録である。
 そして、おそらく今後、継投での完全試合が見られることもないだろう。

 通常なら、完全試合をしている先発投手を代えることはまずない。突如故障をして交代し、次の投手がそのまま完全に抑えて完全試合というのは起こる可能性はあるが、ほんのわずかな確率でしかない。

 この試合で8回まで完全に抑えた山井も、2010年8月18日の巨人戦では9回にノーヒットノーランを逃している。8回まで無安打無失点3四死球に抑えるノーヒットピッチングを見せながら、9回表の先頭打者坂本勇人にレフトスタンドへ本塁打を浴びたのだ。そのとき、私は、これがあの2007年日本シリーズ第5戦だったら……、と背筋が凍る思いをした。

 球史をひも解いてみると、他にも8回までノーヒットピッチングを続けてきた投手が9回に打たれたり、8回まで危なげなく0点に抑えてきた投手が9回に失点する事例は、数えきれないほどある。

 それだけに、1点差しかないあの試合で、勝つ可能性が最も高い方法は、岩瀬への継投だった。それが奇跡的に、あのタイミングで完全試合になってしまっただけなのである。

 完全試合というインパクトに惑わされるか、惑わされないか。その違いが続投派と継投派に分けたのだ。

 立浪のレギュラーはく奪で中日ファンの反感を買い、福留のオールスターゲーム欠場でプロ野球ファンの反感を買い、日本シリーズの山井交代で国民の反感を買った落合。

 すべての非難を一身に受けながら、落合は、中日に53年ぶりの日本一をもたらした。

 中日ファンにとっては、半世紀以上の念願であった日本一。

 それとともに、全国で強い中日に憧れる野球ファンが増えた。

 落合イズムが浸透したおかげで、野球を競技として純粋に高いレベルのプレーを求め、勝利を欲するヘビーな野球ファンが落合を支持したのだ。

 その一方で立浪をいつまでもレギュラーで観たい、オールスターゲームで活躍する福留を観たい、山井の伝説に残る完全試合を観たい、というエンターテイメントを求めるライトな野球ファンが落合を批判した。

 勝利のために生活のすべてを捧げて、細部にまで戦略を張り巡らせて隙のない野球を見せつけてくれる落合に、私の野球観は大きく変えられた。 

 チームを常に強く保つためには、私情を挟まず、冷徹なまでに選手の現在の実力を見極めなければならないことを教えられた。
 そうやって、落合は、ファンにも高いレベルを求めたのだ。

 つまり、落合は、監督として選手を教育するとともに、プロ野球ファンをも教育していたのだった。

 落合は、エンターテイメントとしてのファンサービスはほとんどしなかったが、それをカバーして余りある競技としての栄光を見せるファンサービスをし続けた。
 それは、一般的なファンサービスよりも、遥かに困難なファンサービスだった。

 それゆえ、私は、野球ファンとしてこれまでにない満足感を味わえたのだ。

 勝つことを追求するがゆえに、落合は、アジアシリーズでも勝ちに行った。
 しかし、アジアシリーズの位置づけは、クライマックスシリーズや日本シリーズに比べると、極めて低い。

 中日は、右肩に不安を抱える川上を休ませ、アメリカ人選手のタイロン・ウッズは帰国させる。飛車角落ちの戦力で、選手を大事しながらも、アジア一へ挑むことになった。

 エースと主力抜きの戦いは、総当たりの予選から苦戦を強いられる。初戦の韓国SKワイバーンズ戦で早くもその影響が出て、先発中田が崩れ、打線はSK先発金に7回途中3安打に抑えられた。そして、試合は、3-6で敗退するのである。

 それでも、2戦目の台湾統一ライオンズには朝倉から岩瀬まで5人の継投で4-2と勝利。そして、中国チャイナスターズ戦では、4回まで0-1とリードされながら、先発小笠原の踏ん張りと5回以降の打線奮起により9-1で勝利する。

 上位2チームが争う決勝では、予選で敗れたSKワイバーンズとの対戦となった。ここでも、中日は、先発山井が日本シリーズに比べると、目に見えて不調で、4回まで1-2とリードを許してしまう。その後、、いったんは5-2とリードしたものの、8回に中継ぎが打たれて5-5に追いつかれるという苦しい戦いを強いられる。それでも、9回表に井端のセンター前タイムリー安打が出て、何とか岩瀬で逃げ切る、という薄氷の勝利でアジア一の称号も手に入れた。

 クライマックスシリーズ以降の12勝2敗という成績だけ見れば、圧倒的な強さでアジア一まで走り抜けたように見える。しかし、現実は、苦しい戦いの連続だった。大補強で強力な戦力を誇る阪神や巨人に比べ、最小限の補強しかしてこなかった中日は、投手を中心とした守りの野球で接戦をものにしていく勝ち方で戦い抜いた。
 その象徴が日本シリーズ第5戦であり、アジアシリーズ決勝でもあった。

 また、この年は、二軍の中日も日本一になるなど、若手の成長も著しい年となった。ファーム日本選手権では、平田良介と堂上剛裕が本塁打を放つ大活躍を見せ、投手は川井雄大が3回を投げて自責点0でしのぎ、そのあと8回までを吉見一起が無失点に抑えて7-2で快勝する。MVPは、吉見が受賞するなど、その後の中日を暗示させるような成績を残している。

 落合が望むチームがついに出来上がった。これで当分は、中日の黄金時代が続くのだろう。

 私は、日本一のパレードを見ながらそう考えていたが、2008年、その想いは、無残にも砕かれることになる。


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