見出し画像

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第18章

第18章 日本シリーズ第5戦に至る流れが山井交代の伏線だった
 ~2007年~

 2007年の日本シリーズは、2年連続で中日×日本ハムとなった。しかし、状況は、両チームともに少しずつ違っていた。 

 まず、中日は、アレックスがいなくなった代わりに中村紀洋と李炳圭が入り、打線が変わった。しかし、福留孝介が故障中で欠場となる。
 投手陣は、山本昌が不調に陥った代わりに、山井大介、小笠原孝が台頭してきた。

 また、日本ハムは、新庄剛志が引退して小笠原道大が巨人に移籍したため、打線に少し迫力がなくなったものの、ダルビッシュ有・武田勝が成長した上にグリンが加わり、鉄壁の投手陣となっていた。

 シリーズ前の戦力を見比べてみると、昨年同様、中日が有利に思えた。 しかし、短期決戦は、戦力どおりの結果が出ない場合も多い。
 接戦が続く予感はあった。

 札幌ドームで行われた第1戦では、中日打線がダルビッシュにわずか4安打に抑えられる。中日のエース川上も、セギノールに3ラン本塁打を浴びて、中日は、1-3で敗れた。
 ダルビッシュは、この年、15勝5敗、防御率1.82という抜群の成績。日本球界のエースと呼んでも過言ではない投手に成長していた。

 この日本シリーズは、第5戦のみが語られることが多いが、日本シリーズの流れを見ると、中日は、早くも第1戦で追い詰められたのである。

 なぜなら、第2戦に勝たなければ、ナゴヤドームで日本一を決める可能性がなくなる。この日本シリーズは、札幌ドームが4試合、ナゴヤドームが3試合。
 第1、第2、第6、第7戦が札幌ドームであるだけに、中日にとって札幌ドームの第2戦を落とすと日本一の可能性が極めて低くなる。

 中日は、この年、ホームでの成績が45勝27敗。ビジターでの成績は33勝37敗。
 ホームでは圧倒的な強さを見せるが、ビジターでは並みのチーム。

 これは、落合が意図して作り上げたものだ。
 「投手を中心とした守りの野球」
 水物の打線に頼るのではなく、ある程度の結果が予測できる投手力と好不調の波が極めて少ない守備を重視する野球だ。

 ナゴヤドームという球場の広さと、マウンドの傾斜が大きく投手有利という特性を最大限に生かすチーム作りをして結果を出した。
 だからこそ、この年の日本シリーズがホームで3試合しかない、というのは、中日にとってかなり不利だった。

 私は、第1戦の札幌ドームで中日が敗れた後、嫌な予感が脳裏をよぎった。
 前年同様に日本ハムの勢いに飲み込まれてしまうのではないか、と。

 そういう意味で、第2戦は、最も重要だった。

 中日の先発中田賢一は、期待に応えて8回1失点と好投する。
 中日打線も、1回に森野将彦の犠牲フライで先制すると、4回には日本ハムのグリンが四球を連発したのを見逃さず、中村紀がライトオーバーの二塁打を放って2点を追加。
 その後も順調に加点した中日は、8-1で勝利する。このビジターでの大勝は、いったん日本ハムに行った流れを引き戻した。

 1勝1敗となった中日にとって、第3戦からのナゴヤドーム3連戦で1試合でも落とすのは避けたかった。何としてもホームのナゴヤドームで日本一を決めたかったのである。

 1試合でも落とした場合、第6戦からはビジターの札幌ドームへ移るため、日本ハムに2連敗して逆転されてしまう可能性が高くなる。
 そのため、落合は、第6戦以降にもつれたときのことも考えながら、第5戦で日本一を決めるという戦い方を強く推し進めていくことになる。

 何せ、中日は、1954年に日本一になって以降、1974年、1982年、1988年、1999年、2004年、2006年と、ことごとく日本シリーズで敗れている。2分の1の確率で勝てる勝負に6回連続で敗れたのである。ここぞという勝負どころで勝ちきれない精神的なもろさを抱えたチームだったのだ。

 だが、そんな懸念を吹き飛ばしてくれたのがシリーズ新記録となる7打数連続安打だった。4番打者のタイロン・ウッズがセンター前にタイムリーヒットを打って先制すると、中村紀洋にも右中間へのタイムリー二塁打が出て2-0。その後、李炳圭・平田良介・谷繁元信・荒木雅博・井端弘和とヒットが続いたのである。結局、1回だけで7点。
 先発朝倉健太の好投もあって、この試合を9-1で圧勝した中日は、波に乗る。

 小笠原孝が先発した第4戦では日本ハムのミスに付け込んで2点を先制。5回表に追いつかれたものの、その裏の攻撃で暴投により勝ち越す。
 7回には中村紀のセンター前タイムリーヒットが出て4-2とする。 ミスが失点に絡み、焦りが見える日本ハムに対し、中日は、持ち前の守りの野球で接戦をものにして3勝1敗と王手をかける。

 この3連勝は、粘り強く投げた先発投手陣と3試合で1点も与えなかった救援投手陣の踏ん張りと谷繁のリード面も大きかったが、それをしのいで大きかったのがことごとくチャンスで打ち続けた中村紀の存在である。

 中村紀は、この年から中日の選手となっただけに、中日がずっと持ち続けていた日本シリーズアレルギーとは無縁だった。しかも、野球浪人寸前の育成選手から日本シリーズの大舞台に主軸として立つという奇跡的な運を持ち合わせていた。

 もはや、流れは、完全に中日の方にあった。

 そして、中村紀もまた、第5戦という宿命の試合で重要な働きをすることになる。

 ホームで圧倒的に強く、ビジターで並みのチームである中日。3勝1敗と王手をかけたからには、何としても最後のホームとなる第5戦で勝たねばならなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?