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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第16章

 第16章 クライマックスシリーズ創設1年目の未成熟を逆手に~2007年~

 2007年の中日は、アレックスを放出したものの、李炳圭と中村紀洋を獲得したため、世間は、前年に増して戦力が上がったという見方をした。

 そのため、前評判ではリーグ優勝確実の声は高かった。

 だが、巨人は、それ以上とも言える補強をしていた。日本ハムの看板打者小笠原道大とオリックスの看板打者谷佳知を獲得する大型補強。さらに、FAで門倉健、無償トレードで大道典嘉も獲得した。

 そして、阪神も、JFKを中心に安定した投手力をさらに強化するため、ボーグルソンとジャンを獲得していた。

 大方の予想通り、この3球団が三つ巴の優勝争いとなっていく。中日は、開幕ダッシュで首位に立ったものの、混戦から抜け出せないまま、巨人に続く2位で交流戦に入る。

 交流戦では中日は、一進一退の攻防で12勝11敗。今一つの成績で終える。一方、巨人は交流戦を15勝9敗と貯金を蓄え、波に乗ることに成功する。

 この年の巨人は、新戦力を中心に多くの選手がシーズンを通して好調を維持していた。小笠原と谷がともに素晴らしい活躍を見せ、豊田清の代役として抑えに回った上原浩治が完璧な投球で守護神の役割を果たした。

 巨人・中日・阪神の投手力は、防御率を見るとほぼ互角である。差があるのは打撃力で、大型補強に成功した巨人の打撃陣が打率・本塁打数ともに他球団を圧倒している。

 それでも、リーグ優勝した巨人と中日の差は、1.5ゲーム差である。

 落合は、この年のペナントレースをこう振り返っている。

「優勝しようと思えばできたよ」と。

 なのに、なぜ落合は、この年の終盤、リーグ優勝にこだわらなかったのか。

 その理由は、2007年シーズン終盤の投手起用に見ることができる。他球団がリーグ優勝のために、好投手を酷使する中、中日は、余裕のあるローテーションを組み、中継ぎ投手の酷使も避けた。

 なぜなら、この年からセリーグにも、クライマックスシリーズ導入が決まっていたからである。

 落合は、クライマックスシリーズ導入には反対の立場をとっていた。

 1年間かけて戦うペナントレースこそ、最高の価値があり、あくまで日本シリーズは、リーグ優勝したチーム同士が戦うべき。

 そう考えていたからである。

 しかし、落合の意に反してクライマックスシリーズの導入が決まってしまった。

 大リーグを真似て、セリーグに先行して導入したパリーグ。その盛り上がりに乗じて、セリーグも追随したのだ。

 プロ野球は、真剣勝負の競技でありながら、興行というエンターテイメントでもある。

 真剣勝負の競技であれば、長丁場のペナントレースを勝ち抜いたチームこそ、チャンピオンにふさわしいはずなのに、3位のチームが数試合で劇的に逆転できるエンターテイメントを被せたのである。

 クライマックスシリーズ導入が決まってしまった以上、落合は、その制度に従わざるをえない。

 その制度内で最善の手段を考えたとき、落合は、中日が53年間遠ざかっている日本一を勝ち取るために、考えを巡らせた。

 落合は、当然、リーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズも制し、日本リシーズも制して日本一になる青写真を理想としていた。

 しかし、ペナントレースが接戦となった場合は、リーグ優勝をあきらめるという犠牲を払うことも視野に入れていた。

 あくまでリーグ優勝を狙いはするが、選手を酷使しない。普段通りの戦いを貫いて、リーグ優勝できなければ、2位からの日本一に賭けるという戦略である。

 セリーグのクライマックスシリーズ創設1年目は、まだルールが未成熟だった。

 当時、リーグ2位であっても、1位とのアドバンテージがまだなかったからだ。

 そうなると、日本シリーズへ進むためには2位が3位に勝ち、勢いをつけて勝ち上がった方が有利という見方もできる。

 落合がリーグ優勝をあえて犠牲にしたのは、この年が最初で最後である。この年は、あくまで球団悲願の日本一こそが最大の目的だったからだ。

 そして、余力を残した2位でペナントレースを終えた後、伝説の快進撃が始まるのである。

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