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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第29章

 第29章 落合の洞察力と戦略が冴え渡った2010年

 世間の予想通り、巨人は、圧倒的な戦力を武器に横綱相撲で4月10日に首位に躍り出ると、その後も安定した戦いぶりで勝利を重ねていく。6月30日には、2位阪神に5ゲーム差、3位中日に8ゲーム差をつけて、独走の気配が漂ってきた。

 一方、中日は、一進一退の試合状況で6月も11勝11敗と煮え切らない試合が続く。

 この年の序盤で目立っていたのは、荒木・井端の二遊間コンバートと、冷静に試合を俯瞰する落合の逸話くらいである。

 その有名は逸話は、4月27日の巨人戦で起きた。

 この試合は、森健次郎球審で試合が始まったが、2回表の巨人攻撃中、落合は、森球審の元に突如歩み寄り、交代を勧めた。
 試合開始からしばらくして、捕手の谷繁元信が最初に森球審の異変に気づいていた。

 その後、落合は、森球審の様子を観察し、2回表の途中に森球審が体調不良により、試合の進行が困難だと見抜いたのだ。

 落合の忠告は、的確だった。

 実際、森球審は、このとき、風邪による発熱により、体調が著しく悪化していた。歩くのもしんどいほどだったのだ。

 事情を飲み込めない巨人の原監督は、何事か、と森球審のところに飛んできて確認。テレビ中継者や観客も訳が分からず、騒然となった。 他の人々にとっては、その程度の認識しかなかったのだ。

 しかし、落合は、グラウンドの隅々までに目を凝らして、普段とどこか異なるところはないかと日々研究を重ねる。選手たちがフォームを崩していないか、どこか故障をしてしまっていないか、疲れで動きが鈍くなってないかなど、あらゆる情報をグラウンドから読み取るのだ。それゆえに、森球審の酷い体調不良に気づいてしまったわけである。

 戦力で劣る球団が巨大化した球団を相手に長いペナントレースを勝ち抜くには、そうした細かい研究の積み重ねで、自他のチームの状況を的確に把握し、相手の隙を見つけては、そこに付け込んでいく緻密な野球が必要なのである。そのためには相手にも隙は見せない。

 たとえ、部外者には「閉塞感」ととらえられようとも、そこを崩せば、勝つことができないからこそ、落合は、自らの方針を決して曲げようとしなかったのだ。

 この頃、落合は、既にグラウンドで練習や試合をする選手の姿を見ただけで、選手の身体の状態が把握できるようになっていたという。

 そこまで観察眼を極めていた落合の選手起用は、この年、冴え渡る。

 この試合は、先発朝倉健太が崩れたこともあって、0-8で巨人に敗れるが、中日が巨人に与えたダメージは、それ以上に大きかったと言える。

 私も、後で知って驚いたのだが、この試合の後、中日は、巨人戦に14勝6敗と大きく勝ち越すのである。

 この年のターニングポイントは、巨人戦だった。

 8ゲーム差ついてから、最初に対戦した7月9日からのナゴヤドーム巨人3連戦は、7.5ゲーム差で迎える。ここで、中日は、吉見・山井・チェンをつぎ込み、3連勝を果たすのである。

 この年、中日は、巨人戦にチームの柱となる投手をぶつけるローテーションを組んでいた。巨人の戦力があまりにも強大なため、直接巨人を倒さなければ、優勝は難しいからだ。

 中日は、巨人戦に右の吉見一起と左のチェン・ウェインという左右両エースをぶつけていった。特に後半戦では安定してきた山井大介を入れて、完全な表ローテーションで巨人を徹底的に叩いていく。

 7月9日からの巨人戦3タテは、チームにさらなる波及効果をもたらす。打線も投手も好調となって波に乗り、7月16日の広島戦で山井が完封したのを皮切りに、中田・チェン・岩田・ネルソンが先発で好投し、チームとして5試合連続無失点勝利という快挙を達成したのである。

 その勢いで7連勝した中日は、これで一気に首位巨人に2.5ゲーム差にまで迫り、優勝が現実味を帯びてきた。

 中日が得意とする混戦に持ち込んだことで、巨人と阪神にも焦りが出てくる。シーズン前の巨人独走という前評判は、もはや風前の灯となり、7月後半には巨人・阪神・中日が2.5ゲーム差にひしめく予想外の展開となったのである。


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