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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第22章

 第22章 落合は、北京五輪対策の外国人選手枠拡大を実現させたが…
     ~2008年~

 落合にとって、2008年は、2人の中心選手が抜けた他に、もう1つの懸念があった。それは、2008年8月にある北京五輪である。ペナントレースの佳境に入る最も踏ん張りどころで約1か月間、主力選手が抜けることになる。この年のプロ野球最大の懸念でもあった。

 想定外の2008年への扉は、既に前年12月に開催となった北京五輪アジア予選の日本代表に、中日から球団別で最多となる5人の代表選手が選出されたところから始まる。

 エースの川上憲伸。抑えの岩瀬仁紀。走攻守の要である井端弘和、荒木雅博、内外野をどちらもこなせる森野将彦。

 11月1日まで日本シリーズで激闘を繰り広げ、11月11日までのアジアシリーズを戦い抜いた中日。
 それだけでも疲労の蓄積は計り知れないのに、そこから北京五輪のアジア予選が入ってくる。

 2007年11月22日、23日のオーストラリア代表との親善試合2試合。
 12月1日から12月3日までのアジア予選3試合。

 アジア予選は、日本代表が3連勝を飾ったが、中日は、中心選手が大きな疲労を抱えたまま2008年を迎えることになった。

 落合は、中日の選手たちが日本代表として国際大会に出場することについて、判断を選手に任せていた。

 落合は、元々、選手は個人事業主で球団と契約している立場だから、選手たちが国際大会に出場してどんな結果になろうと自己責任、という考えを持っていた。

 また、北京五輪の日本代表監督が星野仙一であり、落合が現役時代に星野は監督としてリーグ優勝を果たした関係でもある。非協力的になる理由はなかった。

 それゆえに落合は、5人の主力選手が2008年のシーズン中盤に北京五輪で抜けたとしても、リーグ優勝を勝ち取れる戦略を練った。

 2月2日、落合は、キャンプを視察に訪れた根来泰周コミッショナー代行に北京五輪対策の救済措置を提案する。それは、北京五輪日本代表に3人以上選出された球団には外国人選手枠を1人増やして5人にしてほしい、というものだった。

 中日は、2007年オフに行われたアジア予選に5人の選手を派遣している。そのため、中日が五輪本選の日本代表に3人以上を派遣するのは確実だった。
 落合は、既に五輪で荒木・井端が抜けた場合を想定して内野手のデラロサを獲得、川上・岩瀬が抜けることを想定して剛腕投手ネルソンを安価で獲得していた。

 キャンプで落合が根来に提案した案は、その後、プロ野球実行委員会で承認され、6月にはNPBと選手会で合意に達した。
 これにより、中日は、北京五輪期間中に5人の外国人選手を1軍に置くことができるようになった。

 実際の五輪本選は、中日から4人が日本代表に選出となった。川上、岩瀬、荒木、森野の4人である。
 井端は、故障のため、辞退している。

 北京五輪日本代表監督の星野仙一は、元中日監督だったこともあり、古巣中日の選手たちを重用した。

 その一方で中日の選手たちは、前年に日本シリーズで日本一、アジアシリーズでアジア一、さらに五輪アジア予選に出場と厳しい戦いが続いた。そのため、シーズンオフがほとんどなく、中日の選手たちは、調子がいまいちだった。
 特に川上憲伸と岩瀬仁紀は、体に故障を抱えた状態でプレーしていたようだ。

 そんな状況の中、北京五輪日本代表は、2008年8月8日のパリーグ選抜との強化試合、9日のセリーグ選抜との強化試合をこなす。
 そして、8月13日から8月23日までの五輪本選が9試合あった。

 シーズン中でありながら、過酷なプレッシャーを受ける日本代表としての計11試合を、中日の4選手は戦い抜いた。
 しかし、結果は、4位。銅メダルにさえ届かなかった。

 岩瀬は、本選で不調に陥って3敗、川上も1敗、森野も打率.111に終わった。

 状態の悪い中日選手を酷使して敗退した星野は、世間の批判にさらされ、3敗という結果が残った岩瀬もまた大きな批判にさらされた。 

 その五輪中、中日は、落合の提案が実ったこともあり、5人の外国人選手を1軍に置くことができた。しかし、中日に大きな誤算だったのは、この年、チェンが先発・中継ぎとして台頭して好成績を残し、北京五輪の台湾代表に選出されてしまったことである。

 そのため、外国人選手枠5人の1人として想定していたチェンが抜けて、クルスも故障していたから、実質4人と同じ状況になった。主力選手が5人抜けたうえ、外国人選手枠5人が意味をなさなくなってしまったのである。

 そして、北京五輪後も、中日の調子は上がらなかった。川上は、疲労と故障を抱えてしばらく登板できなかったし、それ以外の選手もシーズン終盤に強いはずなのに、例年のような状態とは明らかに違っていた。

 この年のペナントレースは、北京五輪が勝敗を分けたと言っても過言ではない。

 シーズン序盤から首位を独走していた阪神は、北京五輪に守護神藤川、攻守の要矢野、主軸打者新井の3人が選出された。
 一方、巨人は、守護神上原と攻守の要阿部の2人が選出された。

 3強と言われる巨人、阪神、中日において、北京五輪に選出された人数がそのまま順位として返ってきた。

 2人選出の巨人がリーグ優勝、3人選出の2位が阪神、5人選出の中日が3位。
 それほど、北京五輪は、ペナントレースに大きな影響を及ぼしたのである。


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