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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第11章

 第11章 立浪和義から森野将彦への鮮やかな世代交代~2006年~

 2006年は、落合政権の中で最も戦力が充実していた年と言っても過言ではない。投手陣も野手陣も、多くの選手が全盛期を迎えようとしていた。

 そんな中で、あるポジションのレギュラー争いだけがし烈になってきていた。
 サードである。

 サードには、長年、中日を攻守の要として支え、「ミスタードラゴンズ」とも称された立浪和義が守っていた。しかし、立浪も、肩に故障を抱え、2005年は打率.253、エラー12。年齢による衰えが見られるようになってきた。

 それでも、総合力では、立浪を凌駕する技術に達する選手は、まだいない。通常であれば、このままレギュラーでも問題はないはずだった。

 しかし、投手を中心とした守りの野球を掲げる落合にとって、立浪の守備の衰えは、深刻だった。

 一方で、森野将彦は、2005年に打率.268、9本塁打と頭角を現してきていた。守備も年々上達している。

 打撃でも守備でも下降線をたどり始めた立浪。打撃でも守備でも上昇線を描いている森野。

 その2つの線が交錯する年が2006年だった。

 それゆえに、この年の交流戦から、落合は、まだ充分に使える立浪を控えに回して、森野将彦と渡邊博幸を先発サードで起用し始める。世代交代の決断を下したのだ。

 この決断には大きな批判がつきまとった。立浪は、この年、37歳になるシーズンとはいえ、中日では最も安打を量産してきた天才打者である。ファンも多く、立浪のプレーを見たいがために、球場に足を運ぶ人々も数多くいる。

 中日スポーツやネット上にも「立浪を干すのか」「引退させる気か」といった投書・投稿をよく見かけた。打撃の成長株で、守備範囲も立浪より広く若い森野をサードのレギュラーに据え、本来なら前途洋々のはずなのに、ファンは、批判する。
 落合のアンチが多くなったのもこの頃だったように思う。
 長年、チームに貢献してきた名選手への周囲の愛着がチームの強化を邪魔するのだ。

 それは、落合も同じだったにちがいない。落合は、現役時代、立浪をルーキーの頃から6年間、チームメイトとして近くで見守り続けている。ファン以上に愛着があったはずだ。

 それでも、チームの戦力低下を防ぎ、チームを強化してリーグ優勝への足掛かりにする。
 そんな落合の信念は、揺らがなかった。

 実を言うと、私も、まだまだ立浪をレギュラーで観ていたい1人だった。通算3000本安打も達成してほしいとさえ願っていた。

 しかし、監督という立場の人間は、勝つために情を捨てて、戦力を冷静に見極める必要がある。
 落合は、それを冷徹なまでに貫ける監督だった。

 渡邊と森野の併用は、明らかに渡邊をつなぎとして、森野の成長を待つという体制だった。

 落合は、森野の才能に目をつけ、この年はキャンプから森野の守備を徹底的に鍛えていた。立浪を控えに回して、森野がレギュラーに定着するためには、守備でも打撃でも前年の立浪以上の成績が求められる。
 落合は、森野がときに失神しかけるほどの長時間ノックで鍛え上げ、1年間レギュラーとして働ける力をつけさせた。

 そのかいあって、8月に入ると森野は、上達した守備力と持ち前の打撃力を生かして、レギュラーを獲得することになる。

 この年の森野の成績は、打率.280、10本塁打。翌年には打率.294、18本塁打と伸ばしていく。

 この年、もしリーグ優勝を逃していれば、立浪のレギュラーはく奪は、大きな落合批判となって、落合を退任にまで追い込んでいたかもしれない。
 しかし、落合は、チームのさらなる強化を図るために、成績が落ちていくベテランと成績が上がっていく若手の序列が入れ替わるタイミングを見極めた。

 そして、森野をサードのレギュラーで起用し、ミスタードラゴンズを代打の切り札に転換させた。

 思い返せば、落合政権でシーズン途中にここまで鮮やかな世代交代をしたのは他に記憶がない。
 シーズン途中のレギュラー交代と言えば、日本に適応できなかった外国人か故障者くらいしか記憶に残っていない。

 キャンプで実力を見極めてレギュラーを固定して隙のない戦いを目指した落合にとって、最も迷ったレギュラー交代だったのかもしれない。


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