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プロ野球

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2022年1月の記事一覧

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第17章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第17章

 第17章 伝説の奇襲 先発小笠原孝~2007年~

 クライマックスシリーズ創設年の中日は、2位からのスタートだった。 2位の場合、まずは第1ステージを3位チームと戦って、先に2勝した方が第2ステージへ進むことができる。
 第2ステージへ進めば、優勝チームと日本シリーズ進出を懸けて戦う。

 第1ステージの舞台は、2位中日の本拠地ナゴヤドーム。対戦相手は3位の阪神である。

 10月13日の第1

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第16章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第16章

 第16章 クライマックスシリーズ創設1年目の未成熟を逆手に~2007年~

 2007年の中日は、アレックスを放出したものの、李炳圭と中村紀洋を獲得したため、世間は、前年に増して戦力が上がったという見方をした。

 そのため、前評判ではリーグ優勝確実の声は高かった。

 だが、巨人は、それ以上とも言える補強をしていた。日本ハムの看板打者小笠原道大とオリックスの看板打者谷佳知を獲得する大型補強。さ

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第15章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第15章

 第15章 2006年の日本シリーズ敗北から生まれた名言「勝つことが最大のファンサービス」

 稀代のエンターテイナー新庄剛志の引退祭りとなった2006年の日本シリーズに敗れた中日。

 戦力では勝っているはずなのに敗れたという結果は、批判となって落合に降り注いだ。

 世間やマスコミは、新庄が様々なパフォーマンスで自軍の選手たちのアドレナリンを放出させ、ファンサービスをしまくって日本一になったた

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第14章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第14章

 第14章 稀代の勝負師落合博満 vs 稀代のエンターテイナー新庄剛志の日本シリーズ~2006年~

 2006年の日本シリーズは、不思議な現象の連続を見ているようだった。

 中日は、第2戦以降、バントをすれば失敗、強攻策をとれば併殺打。投手を変えれば痛打される。鉄壁であった守備にミスが出る。それらの繰り返しだった。しかも、併殺打の後の打者がよくヒットを打ったりするのだから、本当に信じ難い光景で

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第13章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第13章

 第13章 プロ野球は競技なのか、エンターテイメントなのか~2006年~

 今、思い返せば、2006年は、私が落合に対して「ファンサービスをしない監督」という印象を最初に持った年だった。

 その原因は、立浪和義のレギュラーはく奪と、福留孝介をオールスターゲームに欠場させるという方針によるものだ。

 仮に落合が立浪をレギュラーで使い続けていたらどうなったか。立浪は、年々成績を落とし、2割前後し

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第12章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第12章

 第12章 物議を醸した福留のオールスター欠場~2006年~

 この年の中日は、打率・防御率ともにセリーグ1位を記録し、全5球団に勝ち越しという、いわば完全リーグ優勝であった。

 しかし、2位阪神とは打率で3厘、防御率で0.03しか違わない。そのわずかな差が3.5ゲーム差になった、とも言えなくはないが、その差以上に優勝争いはし烈を極めた。

 2005年にリーグ優勝を果たした阪神は、この年も強

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第11章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第11章

 第11章 立浪和義から森野将彦への鮮やかな世代交代~2006年~

 2006年は、落合政権の中で最も戦力が充実していた年と言っても過言ではない。投手陣も野手陣も、多くの選手が全盛期を迎えようとしていた。

 そんな中で、あるポジションのレギュラー争いだけがし烈になってきていた。
 サードである。

 サードには、長年、中日を攻守の要として支え、「ミスタードラゴンズ」とも称された立浪和義が守って

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第10章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第10章

 第10章 失敗から学び、交流戦で見事リベンジ~2006年~

 落合にとって2006年のリーグ優勝は、必須条件だった。監督1年目の2004年にリーグ優勝してしまった以上、それと同等かそれをしのぐ成績を残すしか、2007年以降へつなげる道はない。

 3年契約最終年の落合にとって最もプレッシャーのかかる年になる。

 落合は、前年のⅤ逸により、さらなるチーム力強化を図った。ただし、前年のウッズ獲得

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第9章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第9章

 第9章 敗北感なき敗北~2005年~

 交流戦は、12チーム中9位。想定以上の惨敗だった。横浜より下位に沈み、中日より下にいたセリーグチームは広島だけだった。落合は、その後、2度と「交流戦は5割でいい」という発言はしなかった。

 翌年以降、落合は、この年の反省を踏まえて常時10人を超えるスコアラーにパリーグ6球団を徹底的に研究させる。

 落合が名将と呼ばれる所以は、2度と過去の失敗を繰り返

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第8章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第8章

 第8章 ペナントレースを左右する想定外の事態と失敗~2005年~

 2005年、中日は、セリーグチャンピオンとして順調なスタートを切った。

 開幕の横浜戦ではアレックス・オチョアのサヨナラ満塁本塁打でエース川上憲伸が4-0の完封勝利。この年は、チャンピオンらしく、正攻法の開幕投手だった。

 そのまま交流戦の開始前の5月5日まで20勝9敗。2位に5ゲーム差をつける独走態勢を築いた。

 タイ

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第7章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第7章

 第7章 足りないところを補う初めての補強 ~2005年~

 右の日本人四番打者を育てる。それは、落合が就任時に発した公約の1つであった。それは、いわば三冠王を3回獲得した落合自身の後継者を作ることでもある。

 外国人選手でも右の四番打者は任せられるが、外国人選手の日本での野球生活は、一部の例外を除いてほとんどが5年に満たない。

 安定して四番を任せられることを最優先で考えれば、日本人の若手

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第6章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第6章

第6章 前代未聞のコメントを連発し、独走優勝~2004年~

「井端のサードゴロが収穫といえば、一番の収穫」
 これは、2004年5月11日にヤクルトに敗れて最下位に沈んだ試合後、落合が発したコメントである。
 井端弘和は、この試合で5打数無安打に終わり、0-2で迎えた6回裏1死1塁の場面では、サードゴロ併殺打に終わっている。
 当時、落合の意味不明発言として一部メディアでは話題になった。何せ、最

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第5章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第5章

第5章 はじまりはサプライズ 開幕投手川崎憲次郎~2004年~

 もはや世間で語られ尽くした感のある開幕投手川崎憲次郎。しかし、監督落合を語る上で、この話題を避けて通ることはできない。

 その大きすぎるインパクトのせいで、中日では落合が先発投手をすべて決めていたと誤解している人々もいるほどだ。しかし、8年間の中で落合が先発投手を決めたのは、たった1度、2004年開幕投手の川崎憲次郎のみである。

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