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正成400回忌 日光編

こんなに暖かい日光は、初めてだった。毎年の初代正成の法事は寒く、私はこの寒さを「修行」と呼んでいた。それは、この寒さに耐えられなければ、犬山城などは受け継げないと思っていたからだ。
今年の墓参りは「初代正成400回忌」だ。いつもより法事の日が早いのは、今回は名古屋の菩提寺でも行なわければならないからだ。

日光の菩提寺はかの有名な天台宗の「輪王寺」だ。
しかし、名古屋で尾張藩主・初代義直公が正成の菩提を弔うために建立したと言われる矢場町の「白林寺」は、歴代の墓もある菩提寺で、臨済宗の妙心寺派だ。なぜ宗派が違うのかは、私にはわからない。しかし彼の戒名は、天台宗の天海和尚がつけている。ついでに正成を荼毘にふしたと言われる船橋の寺「宝成寺」は、曹洞宗だ。
こうなると仏教の宗派は、何が正しいのか、本当にわかりづらい。ちなみに戒名の読み方も、天台宗と臨済宗では違うらしい。天台宗では正成のことを「びゃくりんいん」様と呼ぶ。しかし名古屋の菩提寺の名は「はくりんじ」で、戒名も「はくりんいん」様と呼ぶ。
今回の経は、聞いていたら、いつもの経とは違っていた。これが「400回忌」というものだと、改めて再認識した瞬間だった。

成瀬家は法事によって経が違う。一番印象に深いのが、当主や正室の1周忌か、49日の納骨の前に読まれた「観音経」だったような気がする。その経だけで、確か2時間はかかったか?普通ではありえない。(兄弟に聞いたら、金剛経だという)そのため、喪主は足がしびれて立てなくなる。だから焼香の時、必ずと言って良いほど喪主ないし親族は、足がしびれてひっくり返る。それが決まりであった。祖父の時には父が、母の時には兄が、そうであったと私の記憶に鮮明に残っている。
父の時に、それを読んでくれと、お寺に兄弟でお願いしたが、今はお経にも流行りがあるのか「そんな長いお経、今は読みませんよ」と簡単に言われ、はねのけられてしまった。それもそうだ。長い経で、亡くなった人のその後が変わるわけでもない。納得して、引き下がった。
そして、兄は2度目のその失態を免れることができたのだ。
喜ばしいことだが、ちょっと寂しくもあった。
今の菩提寺の住職になってから、読まれたことはないが、先代住職の座るところにその経が置かれているだけで、今日の法事の長さを感じ、私たち子供は、その度に暗い気持ちになっていたものだった。
そして、後ろから先代住職がその経を開くのを見て、私たちは「来たか」と身を締め、長い経が始まるのを覚悟したものだった。
だいたい我が家の法事は、当時2時間半から3時間であっただろうか?最近短くなったと言っても、今でも本葬は1時間30分は最低でもかかる。父の時がそうだった。今思うととても長いように思う。最近の子供は15分で飽きてしまうと言われているから、そんなに長かったら大変だ。今思うと、そのために1つで長いお経を読んだわけではないと信じたいが…ちなみに今はだいたい葬儀社のホールだが、成瀬家の当主の本葬は菩提寺から出す。祖父も父も東京だったから、密葬を東京、本葬を名古屋で出す。

こんな感じで粛々と成瀬家の法事は、行われている。2013年頃、2代正虎の時、初めて正虎の位牌を見た。傾奇者の正虎らしく、位牌に書かれた文字が、私には少し曲がって見えた。日光には正成の位牌はないらしい。今回の法事で、正成のお位牌にお会いするかも…私は、憧れの人でも会うかの如く、どきどきしている。

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