「反復」で読む『リレキショ』(中村航試論1)

 大学時代にハマっていた中村航を再読して気づいたのだが、彼の(少なくとも初期の)作品のテーマは「反復」(「習慣」ともいいかえられる)だ。さらに彼の作品の大きな要素である「恋愛」にも、その「反復」は大いに関係する。

 人が暮らすときに、そこには「反復」の「習慣」が生まれる。毎朝コーヒーを淹れて飲む、靴は右足から履く、昼食はうどんとカレーをローテーション……「習慣」がその人をつくっている、といってもよいだろう。言ってしまえば、日常とは「反復」の連続だ。朝が来て、夜になり、また朝になる。私たちは会社あるいは学校に行き、仕事やカリキュラムをこなし、朝昼晩と食事をし、家に帰り、眠りにつく。そこにはさまざまな「反復」が存在し、その繰り返しを単調であると嫌い、変化を求める人と、逆に繰り返しこそを愛する人がいる。そして、中村航作品に登場するほとんどの人物たちは後者である。

 中村航の初期作品『リレキショ』において、その「習慣」はとても象徴的に描かれる。主人公である「僕」はガソリンスタンド「いわい石油」で夜の11時から朝8時まで働いている。作品の冒頭、彼と共に暮らす「姉さん」について、次のように語られる。

  ーーコツは反復なのよ。そう朝について教えてくれたのは姉さんだった。同じ時間に起き、同じコップで牛乳を飲み、同じ手順で化粧をする。姉さんの朝は正確な反復から始まる。それがコツなんだそうだ。

 「僕」の日常は「姉さん」に習い、「昨日をなぞり、反復」することで続いていく。反復により習慣は洗練され、「より最適な手順」に近づいていく。「僕」のガソリンスタンドでの業務も、やはり「反復」だ。客が来たら「いらっしゃい」と言い、給油場所まで案内し、給油の種類を聞き……新人として入った「僕」の業務も、働くにつれ洗練されていく。

 そんななか、彼の前にひとりの少女が現れる。ガソリンスタンドで“いつものように”働いていると、スクーターとともにフルフェイスのヘルメットを被った少女がやってくる。そして、彼に手紙を渡し、立ち去る。

 手紙の少女はウルシバラという名で、受験生だった。ガソリンスタンド夜勤の彼と同じように、昼眠り、夜に勉強していたウルシバラは、マンションの部屋から見えるガソリンスタンドが見えることに気づく。そして勉強の息抜きとして、双眼鏡を使ってスタンドの店員の「観察」を始め、習慣になる。そのうち、彼女は「新人」として「僕」が入ってきたことに気づき、彼が仕事を覚え、成長していくさまを観察することに夢中になるーーただし、あくまで勉強の息抜きとして。そして、「僕」が一人前になったときに、彼に手紙を渡そうと決意する。もっと彼のことを知るために。そして、自身のことに知ってもらうために。そして、意を決して深夜のガソリンスタンドへと向かう。

 ふたりの出会いは「反復」のなかの突発的事象だ。「僕」のガソリンスタンドでの業務と、ウルシバラの勉強中の息抜き、それらふたつの「反復」が交わったところに出会いが生まれる。ただし、その出会いはウルシバラが「突破」したからこそ生まれたものだ。ここでの出会いは相互の合意のもとに「関係」となりーーあらたな「反復」が生まれる。手紙の返答としてウルシバラが求めたのは、「僕」がウルシバラの提案に合意するなら、業務中の3時半に、ラジオ体操をしてみせること。「僕」はそれに応え、3時半のラジオ体操は新たな「習慣」となるーーただし、「僕」個人のものではなく、「ふたりの習慣」だ。

 この構図こそ、中村航が描く「恋愛」であると考える。個人の「習慣」がある。どちらかがそれを突破し、ふたりの「習慣」が生まれ、関係が築かれる。ふたりの習慣も反復されるなかで「より最適な手順」へと近づいていく。

 前述したように、中村航作品の登場人物たちの多くは、「反復」を愛する人間だ。しかし、その「反復」を愛する行為はともすれは、「自分だけの世界」に閉じこもることにもなりかねない。しかし、その「反復」を越えてまで、あるいは「反復」を壊してまで関わりたいと思う人が生まれたとき、恋が始まるのだ。

「反復」なんぞ気にせずとも、この『リレキショ』という都会のおとぎ話は美しく、輝いている。(その理由は作中では語られないが)「僕」にははじめ名前も経歴もなく、すべてを一から始める(履歴書を書く)ところから物語は綴られ、そもそも「姉さん」と「僕」も血は繋がっておらず……と、深夜のしん、とした幹線道路沿いの風景がとても似合う小説だ。が、「反復」というテーマが反復(!)される様を味わうことでさらに作品の深みは増していく。

●次回は『絶対、最強の恋のうた』について書く予定です。

 

 

 


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