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「絵をみる」ということ

昨日、家の近くの美術館へ足を運んだ。フランスあたりの絵のことであった。
で、美術館へ行くといつも思うのだが、人間は何故に絵を観るのだろうか、と。それも、大体がお金を払って、時間を割いて、足を運んで、時には沢山の人に揉まれながら観るのである。それで、絵の前に立って、「ふんふん」といったような顔つきで、みんなと眺めている。
自分は、解説などはほとんどみないし、目に留まった絵だけを観ていくので、観ている時間はとても短い。最後まで観て「やっぱりあの絵もう一回観たいよな」と思うものがあれば引き返して観る、いう具合である。なので、全ての絵を丁寧にみよう、などという考えは、端からない。
そもそも「絵をみる」という行為は、自分にとってそんなにすうーっと入っていけるようなものではない、というか、とても「不自然」な行為なのである。「じゃあ、なんで観にいくのだ?」と言われそうだが、時にその中に、妙に気になるものが見つかることがある。そして、それは、「とても大切な出会い」のように思われるのである。なので、私は、その「出会い」を求めて美術館に足を運んでいるのかも、です。「出会えない」こともままありますが。
とはいえ、この、のっぺりとした四角なもの(そうでないものもありますが)に描かれた無愛想な陳列物を、わざわざに眺めにいく私を、「なんで、観にいくんだろう?」と、やはりときどき思ってしまうのでした。

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