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人類最大の発明

「人類最大の発明は?」
という質問に対する答えは色々あると思います。車輪、言葉、数字、火薬、コンピューター、などなど。

この質問に対する答えは、その人の好みが反映されるし、正解はないかもしれません。

僕のこの質問に対する答えは決まってて「差別の忌避」だと思ってます。

複数の他者がいる場合「誰と親しくして誰を避けるべきか」と考えることは社会性の基本です。集団を維持する為にも、未知の伝染病を避けるためにも、資源を守るためにも必要な能力として、人間が社会性動物として進化してきた中で獲得した性質です。

その、本能的な性質を「いつまでも、こんなことしてたらアカン」と思い立って

「差別やめたい」

という意思決定をして、基本的な権利という概念まで作ったところに発明としてのスゴさを感じます。自分たちが遺伝的に積み重ねてきた、おそらく本能に基づいた性質からの決別を図っている。

精神が遺伝子の鎖の支配から逃れようとしてるんです。ヤバイ。スゴイ。

言っちゃ悪いけど、それに比べたら他の発明のほとんどが利便性の追求した結果の産物です。「器用さが+1上がった」的なやつですよ。車輪なんて、石をずっと転がしてたら丸くなるんですよ!?

で、人類は度々その「最大の発明」を拡張してきたんです。
人種差別、階級差別、性差別、児童差別、ジェンダー差別、グループ内弱者の差別(いじめ)、と。どれも根絶はできてないけど、概念として「差別すべきではない」と定義していることが凄いんです。

僕は20代後半くらいから、この「最大の発明」に関与したいとずっと思ってました。そして、自分が関与するなら「種の差別」に関わりたいと思ってました。人間以外の動物ですね。

「種の差別をしない」というのは巨大な問題で…捉え方によっては過激な思想に聞こえるかもしれません。

人間は生きていくためには他の生物を利用・消費しないといけないのは間違いないんです(多分あと数百年は)。それは人間の生物としての仕組み上仕方ないことです。危険生物は排除しないと安心して暮らせない、というのもあります。

ただ、だからといって相手の自我を認めず、軽んじてよいという理由にはならない、と思うんです。ベースに相手の存在を尊重する価値観があるかないかで、人類の未来は大きく変ると思います。

僕は、人間以外の動物に自我が存在することを受け入れる土壌を作りたい思ってます。

カギになるのは常に「コミュニケーション」です。対話ができるようになって初めてお互いの不利益の解消が始められるのだと思います(僕はよく対話不能に陥っちゃうけど)

そして、まだ「双方向の対話」というところには届いていない。まだまだやるべき事がたくさんあるのです…。

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