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この身体が動かなくなる。その時まで、手ざわりのあるコミュニケーションを。

深夜、いつも通り布団に入る。そして朝いつも通り布団を出る。そんないつもを繰り返してもう何年たつだろう。少しでも気を抜けばあっさりと崩れそうな足元を見ながらため息をつく。皮膚で感じる貫く寒さは、じっとりとまとわりつくぬるさに変わった。夜観る景色はいつでもまっくらだ。



帰宅すると湯船に顔をうずめる。心地よく、くぐもった音が反芻する。



心臓の音と、息を止めた肺の圧、音にならない音のつぶに耳を傾ける。


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BOKUMO.というブランドが誕生して数年。色々あった。あったけれどそれほどなかった。「お前はなにがしたいのか」と問われても何もうまい言葉を返せそうにない日がつづいた。それもそうだ、スケート選手に毎日氷の上をすべって何がしたいの?という疑問をぶつけるのと同じで、そのような問いを立てる人間はどこかおかしいのだと思う。


忙しさにかまけて記憶が薄い。なにを見ても、なにをしても脳に記憶として定着せず、思い出そうと思ってもなにも思い出せない。いつだって自分のために動いていたし、いつだって自分が死なないように生きている。他人の顔も思い出せないくらいには追い詰められているのだけれど、なぜか声だけは記憶している。



だれかのUPした写真に自分が映りこんでいて「ああ・・・こんなことしたんっだっけ」なんて思ったり、Facebookの過去の投稿リマインドを見て「なんで俺こんなことしてんだろ・・・」とか。




ぼくはここから何ができるのだろう?


ぼくはここからどうしたいのだろう?


ぼくはここから・・・・




自粛の影響かどうかはわからないけれど、自分と話しをする時間が多くなった。「いつだって課題は自分の中から見つける」そうやって生きてきたぼくはあまり他人に期待をしない。正確に言えば「期待しなくなった」。ただ自分の課題であるはずのものを環境や他人、つまり自分の外側に期待することをやめた。というだけのことかもしれない。自分に期待しながら、やることをやっていくという決意。


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とはいえ、他人や環境への興味を失ったわけではない。めっちゃ興味ある。このテキストを書きながらだんだんと整理がついてきたように思う。ぼくがやっていくこと、やりたいことはそのまま「ぼく以外の誰かの課題を引き受ける」ということなのだと。


例えば、業界として先輩方が達成できなかった課題や、先輩方が現在進行形で作り出してしまっている問題が、そのまま下の世代へ鉛のように重く・・・ズッシリとのしかかっている。それは飼い主様方からの不信感の原因となってもいたりもする。


情報が散らかりすぎていることによる齟齬が生まれ、少しずつ歪んだ情報が蔓延していく・・・それはそのまま業界全体の不信感にもつながってしまうだろう。


全ての先輩方がそういった問題をこじらせているとは言わないし、正しく情報発信をしてくれている方もいらっしゃるのですが、少なくとも「声の大きいこじらせているヒトたちを止められなかった」という事実だけは忘れないでほしい。「自分は違う」なんてダサいことは頼むから口に出さないで欲しい。

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