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言っても書いても理解されないとわかっていたとてぼくたちは

自分の考えていることが他人にもそっくりそのまま伝われば、あらゆるものごとが解決するのに・・・


そう考えたことはないだろうか?ぼくはある。



とはいえ35年生きて来た中で、考えているコトがそのままそっくり「100%相手に伝わったな」と思えたことは一度たりともない。



直接話した場合だと内容の正誤に関わらずその場の雰囲気で同意が得られる場面もあるし、テキストで伝えてなんとなく伝わることはもちろんある。




体感として60%伝わればいいほうで、だいたい5%未満なのではないかとも思う。この「伝わる・伝わらない」の差はおおよそ知識量の差だ。こちらの知識量が乏しければ相手にとってはなんともお粗末な主張に聞こえているだろうし、相手の知識量が乏しければ何を言ったとて理解が得られない。



ここで言う知識は「それが起きた歴史や現在の環境まで」を含めていてできるだけ文脈を考えながら、相手の知識量に合わせながら、それでも世界を一ミリ前に進める。



例えば飛行機を知らないヒトに宇宙ロケットの話しをしても目が点になるだけだ。ぼくは宇宙ロケットの話しがしたいのだけれど相手は竹とんぼの話しだと思って会話が続く。



宇宙ロケットの話しがしたいぼくは途中でそのことに気づき、竹とんぼと宇宙ロケットの違いを一生懸命説明する。時間がどんどん奪われてしまう。



逆もまたある。ぼくが宇宙ロケットだと思っていたものが相手からすると紙飛行機だったり。そうすると相手はぼくに紙飛行機と宇宙ロケットの違いを説明することに心をくだくだろう。とんだ時間ドロボウじゃないか。



ともすれば何か議論をしたいときは「相手の時間をできるだけ奪わない事」に気を付ける必要がある。最低限の気づかいであり、最低限の身だしなみ。


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