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2024.3.11
3日後に絵が送られてきた。雨が降っている。雨は植木鉢の花にむかって降っているが、その花は枯れている。枯れた花の植木鉢は割れていて、根が見えている。割れたところから土がこぼれていて、落ちた先でちいさな山をかたちづくっている。その山の上に透明なガラスのろうとが重ねられている。ろうとの注ぎ口から雨とは違う色の液体が滴っていて、その液体は金継ぎされたコーヒーカップに注いでいる。たろうくんはその絵をすごく気に入って、おみやげで買った木製の額縁に入れてロンドンの家に飾っていたけど、日本には持って帰ってこられなかった。引越し業者のひとに言われたのは、木材のなかにまれに日本に生息していないカミキリムシの幼虫がひそんでいることがあり、外来種を持ち込んでしまう可能性があるのでうちでは取り扱っていないんです、とのことだった。飛行機に持ち込んで持って帰ることはできるか質問すると、確実に入国時の検疫に引っかかってめんどうなことになるのでおすすめしない、とのことだった。たろうくんはまるいちにち悩んで、きっとこの絵も持って帰らないほうがいい運命な気がすると言って、絵のことはあきらめて大家さんに事情を説明することにした。家においていくけどいらなかったら処分してもらってかまわない、と連絡すると大家さんからは、なにも問題はない、こういうことはよくある、と返信がきた。
それっきり絵のことは忘れていたが、昨日の夜に大家さんからメッセージが来ていて、話がしたいからあした電話するとのことだった。ひとりで電話は不安だったので、たろうくんにもいっしょにいてもらうことにして、指定された時間に大家さんから電話がかかってくるのを待つことにした。

2024.3.13
ハロー、元気? ひさしぶりだね、夜おそくにごめんね。電話したのはあの絵のこと。問題があったとかそういうわけではなくて、ただあなたたちの次にこの家に住む人がどうしてもあなたたちと話がしたいからと言って、それで今日あなたたちに電話をしたんだけど、これはけっしてあなたたちにとって悪い話とかそういうわけではなくて、ただあなたたちにこの話を聞いてほしいだけということだから、わたしじゃなくてこのひとが話すから聞いてほしい。電話をかわりますね、よろしく。
ああ、どうもこんにちは、はじめまして。わたしのなまえは重要じゃない、それは必要ない、ただこの話を聞いて、それで、忘れないでいてほしいだけなんだ。いいかい? わたしはきみたちが住んでいたこの家の次の住人で、古物商をしている者だ。きみたちが置いていったあの絵、とくにあの金継ぎされたマグカップを見て、わたしはこれは運命だと感じたんだ。きみたちも知っているだろう? この家があるこの街はアラブ人たちの街であると同時に、古物商たちの街でもあるんだ。きみたちが住んでいた家のすぐ近くを大通りがとおっていただろう。Edgware Roadというあの大通りは、もとはWatling Streetといって、ローマ帝国がイングランドを支配していたときにつくられたものだ。すべての道はローマに通ず、という言葉を聞いたことがあるだろう。あの道のうちのひとつがWatling Streetであって、そのうちの一部がいまはEdgware Roadと呼ばれている。276マイルのWatling Streetのうち、Edgware Roadにあたる部分は10マイルほどだが、その10マイルはほとんど一直線に引かれている。それがEdgware Roadだ。イングランドにこんな道はほかにない。これがローマ帝国を支えていたんだ。イングランド中の人と物がこの道をとおっていた。この道がずっと経済の中心だったんだ。それからずっとあとの時代になって、といっても鉄道ができるまえの時代だが、このあたりに当時の行政が関所をつくった。こんな優れた道路を利用しない手はないからね。馬車で移動する人びとから金を徴収したんだ。そうしてこのあたりは宿場町として栄えることになる。まあそれも100年か150年くらいのことだ。すぐに鉄道のほうが主流になって馬車も少なくなっていき、関所は廃れることになる。それにあわせて宿も消えていくが、建物は残る。そこに目をつけたのがオスマン帝国からやってきた商人たちだ。もちろん、関所がつぶれて廃れた宿場町は他にもたくさんあるから、彼らがなぜこの場所を選んだのかということについて確かなことはわからないが、わたしとしてはやはりこの道路自体をローマ帝国が建設したというその歴史的な背景が関係していると考えずにはいられない。オスマン帝国内部の社会情勢の不安から、商人たちはこの場所に住みついて商売をはじめるようになる。その後、エジプト、イラク、レバノン、アルジェリアなどの国から、戦争で故郷を追われた人びとが移民として、すでにここに住んでいた同胞たちをたよってこの場所に住むようになる。そうしてこの街は商人たちの街であると同時にアラブ人たちの街でもあるようにできあがっていくんだ。いまではリトル・カイロとかリトル・ベイルートなんて呼ばれるようになるまでにね。

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