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「プロレス芸」騒動を振り返る

2023年11月、ツイッター上で「プロレス」という言葉の使い方に関して、ちょっとした揉め事が起きた。きっかけは、立憲民主党の塩村あやか議員が、Twitter上で自身への批判的なツイートに対して言及したとき「アンチのプロレス芸」という表現を使用したことだ。塩村議員のツイートは、すでに削除されているが、スクショは、残っていた。

このツイートは、SNSで塩村議員のアンチが彼女に関するデマを流していることを受けて、投稿された。アンチによるデマ投稿を読んだ別のアンチが、それを拡散して炎上させる。この一連の流れがすべて茶番であるという意味合いで「アンチのプロレス芸」と書いたようだ。

塩村議員の投稿に対して、プロレスファンはもちろん、プロレスラーも非難を表明。さらには、業界トップである新日本プロレスの親会社、ブシロードの木谷社長まで塩村議員を名指しで批判した。

塩村議員は謝罪ツイートをしたうえで、旧知のレスラーが参戦しているDDTプロレスリングを現場で鑑賞。その後も、何度か会場に通っているようだ。

激怒していたプロレスファンの多くは、「うむ。あいつも話がわかるじゃないか」と、塩村議員を暖かく迎え入れる決着になった。まあ、塩村議員に丸め込まれたわけだ。ちょろい。

また、ブシロード・木谷社長に対しては、「他の有名人がプロレスを揶揄したときは何も言わなかったのに、塩村議員のときには名指しで批判したのは、塩村議員が女性だからだ。このミソジニー野郎」という声が、一部から寄せられた。

この一連の流れ、塩村議員もブシロード木谷社長も、すべてしょうもないわけだが、よく考えると,皆が怒った理由がいまいちピンとこなかった。気になってネット上であらためてファンやレスラーの反応を見ると、おおむね2つの理由があった。

1つ目の理由は、「茶番」の意味で「プロレス」という言葉を使ったことだ。塩村議員の発言に限らず、「プロレス」という言葉を「茶番」もしくは「あらかじめ打ち合わせがある小芝居」みたいな意味で使うことは、たまにあるように思う。プロレスファンも関係者も、これをネガティブな例えに使われたとして、嫌う。

例えば、男色ディーノというプロレスラーは、「何かを悪く言う例えで、特定の職業を使わないでほしいね」というようなことを書いた。


プロレスに限らず、なにかのジャンルをネガティブな比喩として使うことは、そのジャンルへの偏見を助長する。そういった表現はするなと言いたいのだろう。気持ちはわかるし、素朴に同意する部分もある。それと同時に、プロレスというジャンルに関わっている人間が、それを言っても説得力がないのではと感じてしまう。

そもそも偏見と記号性は紙一重の関係にある。プロレスは「強さ」や「戦い」を記号的に表現することで成り立っているエンターテインメントだ。男色ディーノ選手の意見を敷衍すると、プロレス自体が成り立たなくなり、自らの首を絞めることになりかねない。例えばヒールレスラーをどのようなキャラ設定にするかは、どんどん難しくなるのではないだろうか。

2つ目の理由は「プロレス芸」という言葉への反発だ。Twitterで見る限りでは、それなりに多くのプロレスファンが、「プロレス芸? プロレスを芸よばわりするな」と怒っていた。もとのツイートを素直に読めば、「プロレス芸」は「プロレス的な芸」という意味で、プロレスを芸とは言っていない。

怒っているプロレスファンは、「芸」という言葉から「曲芸」「演芸」などを連想し、英語で言うところの「act」や「trick」、もっと言うと「八百長」のニュアンスを感じて、過剰反応したのでろう。プロレスファンは、いまでも「八百長」という言葉にとても強い拒否反応がある。

とはいえ、プロレスの中には、「プロレス芸」としか呼びようがないムーブや展開があるそして、矛盾するようですが、プロレスファンはそういう展開も大好きなのだ。以下、ぼくが好きな「プロレス芸」の動画を3つ紹介する。

まずはじめは、2017年5月18日・新日本プロレス後楽園ホール大会で行われた、オスプレイvsリコシェの1シーン。ふたりは、ジュニアヘビー級という軽い階級の選手で、世界屈指の空中殺法の使い手。アベンジャーズのブラックウィドウのような戦い方をリアルで行う。最後のふたりしてトンボを切るところは、なんの意味があるのか謎だが、とにかくすごい。これは、芸と言えるだろう。

次に、2023年6月25日・DDTプロレスリング後楽園ホール大会で行われた、平田一喜vsヨシヒコの試合だ。ある名プロレスラーは、「自分は、ホウキとでも試合を成立できる」と言ったのだが、DDTという団体では、ヨシヒコというダッチワイフが選手として所属しており、たまに試合が組まれる。

ダッチワイフと戦うと言われても、試合のイメージがわかないと思うので、Youtubeのショート動画をご覧いただきたい。相手の平田選手が達者で、彼とヨシヒコとの試合は、とにかく名勝負です。これは、芸としか言いようがない。

最後に、世界最大のプロレス団体・WWEで2005年頃に行われたエディゲレロの試合。エディ・ゲレロは、ラティーノの名レスラーで、キャッチフレーズが、「Lie Cheat Steel」、日本語で言うと「ズルして騙して盗み取れ」です。身体は小さいけれども、情熱的でテクニカル、かつずる賢いスタイルで人気を集めた。

これから紹介する動画は、エディのずるい立ち回りがともて魅力的だ。レフェリーが失神している間に、エディがパイプ椅子を取り出し、相手に反則攻撃をしようとする。そのタイミングで、レフェリーが意識を取り戻しかける。そこで、エディは機転を効かせ、相手にイスを渡し、イスで殴られてダウンしたフリをする。レフェリーは、相手が反則をしたと勘違いをして、エディの勝ちとなる。そんな流れ。途中のずる~い感じの笑顔も含め、千両役者だ。1分弱、是非ご覧いただきたい。(↓なぜか、リンクがうまくいかないので、直接とんでほしい)
https://twitter.com/Phoenix_ayabusa/status/1062215208351916032

これら3つの動画は、アクロバティックなムーブ、人形相手の試合、複雑なスキットをこなしつつキャラクターを見せるという、異なる3つの「プロレス芸」だ。いずれも、すばらしいプロレスである。

実は、プロレスファンの間でも、プロレスを「芸」とする見方は昔からある。例えば熱心なプロレスファンであるSF作家の夢枕獏は、1989年の著書「戦慄!まるプ業界用語辞典」でジャイアント馬場とブッチャーの試合を、歌舞伎と同様の伝統芸能であると書いた。

馬場とブッチャーは、過去に数百回は試合をしており、お互い、試合でどのように動くかをよくわかっている。二人の試合は、いつも同じような展開になり、客もそれをわかって楽しんでいる。

夢枕獏によると、当時、すでに50代前半だった馬場とブッチャーは、アスリートとしての激しい動きはできないかわりに、洗練されたルーティンの立ち回り、つまり「型」をリング状で見せているという。その上で、「型」は伝承可能なので、プロレスは伝統芸能になりえると説く。日本で最も有名なプロレスラーの一人である、ジャイアント馬場のプロレスもまた、「プロレス芸」だったわけだ。

残念ながら、ジャイアント馬場とブッチャーの芸を受け継ぐレスラーは現れなかった。ただ、先程の動画で見るように、観客を魅了する新しい「プロレス芸」は、生まれ続けている。「プロレス芸」という言葉に怒るのは、ナンセンス極まりないわけだ。

前述のブシロードの木谷社長は「マニアがジャンルを潰す」と言っている。ファンや関係者がマニアックで閉鎖的なジャンルは、当然新規のファンが入りにくくなる。その意味で、今回の一件は、プロレスファン以外から「プロレスって、ファンも関係者もめんどくさいジャンルだな」と思われるような騒動であった。せめて自分は、めんどくさい「マニア」的な振る舞いをしないようしたいものだと思う。


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