約束の根っこ

昔の話だが、三十歳で舞台製作に関わるようになった。
脱サラして戻った故郷では市が舞台人育成に力を入れていたのだ。私はインテリア照明に興味があるという理由だけで、舞台照明講座を受講した。最初は座学が続き、最後は劇場で上演の実践も積むという凝りようだった。

一つの世界観を大勢で作り上げるには、沢山の舞台の約束がある。

例えば、客席から見て右側が「上手(かみて)」左側が「下手(しもて)」と呼ぶ、これは出演者やスタッフがそれぞれどこにいても舞台上の場所を認識できるように、右左ではなく「上手」「下手」と言うのである。

これ以外にも昼でも夜でも「おはようございます」と挨拶をする。最初は業界人ぶっているようで気恥ずかしく抵抗があった。なぜそういう挨拶なのかは諸説あるようだが、使っているうちにしっくりしてきた。夜に集まって稽古や仕込み(公演前の準備)するとき「こんばんは」では眠たくなってしまう。気合を入れて仕事を始めるには「おはようございます」が合っていた。

また、舞台には危険が沢山あって注意しないと怪我や大惨事につながってしまう。危険を的確に伝えあうことも舞台の約束だ。大勢で照明機材をバトンに吊り下げているときだった。ゆっくりと降りてくるバトンに人がぶつかると思ったので私も声がけをした。しかし、日常生活で大声を出す経験がなかった私は「あっ、あの方、危ない…」と少しだけ大きな声で注意を促した。すると周りにいた人たちは「はっ?」と私に注目した。焦った私は「いや、あちらのバトンが降りてきている下を、あの方が横切るのが危ないかと…」と説明する羽目になってしまった。危険が迫ったときに「あの方」など丁寧な口調で言われても危機感など全く伝わらない。約束を守るには勢いと勇気が必要だった。

初めての公演、会場の入り口で講座で知り合った大学生がニヤニヤしながら「反抗期ですか?」と声をかけてきた。何のことか分からず、首をかしげると「裏方(舞台の照明・音響などのスタッフ)は黒い服って言われたじゃないですか!」と言ってまた笑った。

ハッとした、その日の私は黒のセーターに赤いデニムパンツといういで立ちだった。

『しまった!』裏方は本番中客席から見切れても(見えてはいけないものが見えてしまうこと)闇に紛れて目立たないように、上下黒い服装と言う約束を思い出した。あまりに抜けている自分に嫌気がさしたが、後の祭りである。まずは先生に謝って見切れないように気を付けるしかなかった。しかし、謝る相手は先生だけではない、全ての出演者、舞台スタッフ、そしてお客様に対してである。

次の講座では、本番中照明の仕事はなく客席で見学だった。公演後バラシ(片付け)が始まるので、ショートカットして張り切って客席から舞台上によじ登った。とその瞬間、鬼のような形相の照明チーフを見上げて固まってしまった。

「お客さんがまだ残っているよ!舞台の先端は客席と舞台の結界だ!そんなところから舞台に上がっちゃいけない!」と注意されたのだ。耳が真っ赤になって、泣きたくなった。三十歳にもなって想像力に掛けた人間であることが恥ずかしかったのだ。

これまで作り上げてきた世界観に、結界を超えてヌルっと日常を持ち込んでしまったら全てがぶち壊しになってしまう。そういうことまで想像できない、全体を見ることができない人間に舞台に関わる資格などないと思えて落ち込んだ。

一つの世界を皆で作り上げるためにある舞台の約束には、相手を思いやる想像力や先を見通す力、コミュニケーションの素がいっぱい詰まっていた。

舞台から離れて久しいが、舞台の約束の根っこにあることは今の生活にも活かされていると思う。

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