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失敗とは

前回書くつもりだったこの記事。

昨日はふと心の病のことが頭から離れないので書きました。今日は失敗について。

教員(講師)をやって5年目になります。僕がこの現場にいて気になること






「失敗するなよ」








失敗したらだめなの?

失敗しないでどう成功するのか?

バスケの神様と呼ばれたマイケルジョーダンですら試合を決定付ける何万本というシチュエーションで失敗したっていってるよ?けどバスケ界じゃ崇拝されるレジェンド。

失敗しない人なんていないやん。旦那すごい人でも失敗はするよ。


「失敗してもいいぞ、そのかわり諦めるなよ、何度も挑戦しろ」そう言ってくれる大人が増えたら子供たちは全く夢や希望を持って取り組めるんじゃないのかな?

大人が失敗はしたらだめみたいな風潮だから、子供はそれを読み取って、失敗しないようにしようとか、受け身の姿勢になるのではないかな?

失敗したら子供の笑われ者にされて、頑張るとか挑戦するのが嫌になるんじゃないのかなと。頑張るやつとかうまくいかない人を責め立てたりして追い詰めて袋叩きなどが起こるんじゃないのかな?

大人が挑戦して、もっと堂々と失敗して、周りもそれを応援できて、そして最後にうまくいく姿を見せらら人が増えたら世界は変わるんじゃないのかな?

僕でいう失敗を上の内容にあてはめるとするなら今年で教員採用試験6年目受けること。

落ちるたびに言われます。

だからお前はダメなんだよ。

資質がないんじゃない。

人格否定されることを言われたこともたくさん。しかもそれを教員が言うんです。本当にそれが嫌でした。多分落ちるうちは言われると思います。

落ちたのはつらいさ、力がないのもわかってるさ

けどね




「自分の夢を追っかけて足掻いてるきたこの生き様をを否定する権利はお前らにはねえからな!!!」




5回も落ちたら「お前の人生は出遅れてるとか失敗してる」と思う人もいると思います。実際にそういう風に見下されるとかもたくさんありました。

だけど俺はこの人生今のところ後悔してません。

落ちたからこそ、自分の思いが実現できない苦しさ、自分勝手に生きて迷惑かけすぎてそれでも助けてくれた周りの人のありがたさとか、何かに挫けたときにその人のために何かしてあげたいとか、順風満帆で全て行ってたらきっと気づかなかったものに気づいて得たものもたくさんあるよ。

初めて落ちるまでの23年間.自分勝手に世界は自分のためくらいの感覚で生きていました。

落ちたことで人の支えとか、優しさとかに強く触れて、誰かのために何かしたいと思えた。自分中心に生きるのではなく、誰かと共存するために何か与えられる人になりたいと思えたよ。28年目になってこんな当たり前のことに気がついたってのも恥ずかしいけど、この年で気づけてよかったよ。少しは優しくなれたと思う。





失敗とは物事がうまくいかなかったことではなくて  そこから何も学べなかったことや挑戦することを諦めてしまったことなんじゃないのかな?

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これは田臥勇太がNBA行った時期のスラムダンクのコラボだったはずです。


今失敗しても挑戦し続けてその度そこから何かを学んで、それより長い先の人生で幸せだと思えること

早くから上手くいって、失敗したくなくて挑戦することをやめてしまったり、先の長い人生でうまくいかないとか、辛いとか、幸せを感じることができないこと

あなたならどっちを選ぶ?

何がいいたいかというと、

「たくさん失敗しよう、その代わり転んでも、何度転んでも何度でも立ち上がろう。最後に笑ってればいいんです。立ち上がる限り道は必ず開ける。立ち上がった人にまたは開ける。」

失敗しない方法を教えるのではなく、失敗しても何度でも立ち上がる方法を大人が示そう。今の学生に必要なことだと思います!

だから私は教員生活をかけてそういうことをやっていきます。どこまでできるか分からないけど、40年後教師を退くときにやってよかったって言えるように。そして人生で挫けても最後立ち上がれる強い心を持った人間を作ります。






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