見出し画像

筒井と青春

「500円」

「いや、200円だ」

「商売を馬鹿にしているのか。500円は出してもらうぞ」

「なら間をとって400円だ、400円ならすぐ買う」

熱を帯びた口調で値段交渉をする2人の男がある。
どちらも一歩も引けを取らない、熾烈な争いである。

男たちの手元に焦点を当ててみる。みるとスマホが一人の男の手に握られている。画面は真っ黒だが、2人の男はそれを見つめている。どうやら取引の対象は、このスマホの中にあるようだ。

「わかった、400円だ。400円で手を打とう。」

スマホ、すなわち商品を手に握っている方の男が折れた。100円の値引きに成功した方の男はすまし顔で、しかし突くような目線で男に言う。

「例のモノを見せてもらおうじゃねえか」

険しい顔をしていた男がニヤリと笑い、2人はスマホの画面に熱いほどの視線を注ぐ。







「アンアンアンアーーーーン」
AVだ。メガネの女の子が男の上にまたがり、揺れている。
ここは香川県のとある高校、校門前。しぶとく残る夏の暑さを、秋風が吹き消してゆく9月の夕暮れ時である。部活終わりの生徒たちが颯爽と門をかけてゆく。夕日に汗を輝かす生徒を尻目に、僕と筒井はAVを見ていた。

「めちゃくちゃ似とるやないけえええええ」
筒井は興奮してスマホを刮目する。僕が売りつけたのは正真正銘、AVである。僕と筒井は同じ女の子が好きだった。「眼鏡 エロ動画」で調べ続けた僕は、やっとその女の子に似ているAVを掘り当てたのである。

僕と筒井はその15分のAVを、生徒がゆき過ぎる校門の端、2人で見つめ続けた。動画が終わり沈黙が訪れる。筒井と僕は熱い握手を交わした。その握手は過ぎ去ってしまったあの夏を思い出させるほど熱い握手だった。

校門の向こう側では、テニス部のカップルが手を繋いでお互いの顔を見つめ合っていた。この世の縮図を見せつけられたような気がして、僕と筒井はそれを見なかったことにして帰った。


「青春」
この言葉を聞くとまず第一に思い起こされるのがこの思い出である。

僕の大切な青春は筒井によって、救いようがないほどの灰色に染められてしまった。僕の青春とは、ちんこと大喜利の歴史である。そして筒井の90%は、ちんこと大喜利でできている。



筒井のちんこへの情熱は異常である。彼は仲のいい男5人で集まってちんこを出し合う大集会、「チン棒大爆発」を1年に2回開催し、そこで一晩中ちんこを露出し合う。腐れ外道もここまでくればあっぱれである。もちろん僕もそこに所属している。

みんなでエッセイを書こうという話になり、筒井のかいたエッセイを読んでみると30個も「チンチン」という言葉が含まれていた。100文字につき、一回はチンチンが出てくる計算である。ここまでくると、チンチンのお祭り騒ぎと言っても過言ではない。世界のどこかにはちんこを讃えて三日三晩踊り狂うお祭りがあるというが、筒井は三日三晩どころか年中無休のちんこバーニングフェスタである。

過去に一度だけ、筒井のちんこを外に解き放ってしまったことがある。僕の辞書で「青春」の文字を引くと、2ページ目にこの日の出来事が思い起こされる。ちなみに「青春」のページは2ページしかない。AVを400円で売りつけた出来事と、今から語る日の出来事だ。もういっそ、僕の辞書から「青春」は引きちぎってしまった方がいい。


あれは体育祭の日だった。女子たちが長い髪をまとめて、髪の上にお団子という名のうんこを作り、屈強な野球部たちはこれ見よがしに筋肉と乳首をさらけ出す。地面に落ちた金玉をカゴに投げ入れ、巨人の陰毛の端と端を持ってひきちぎり合う。統制的学園生活に嫌気のさした高校生たちが狂ったとしか思えない正真正銘の変態イベントである。もうなんでもありだ。

こんな変態騒ぎを行っている場所でちんこの1つや2つ、構うまい。そう思った僕は筒井のズボンを下ろすことにした。筒井はすぐに見つかった。クラスメイトに声援を投げかけているかたまりの、運動場を挟んだ対角線上。運動場の隅の隅のダンゴムシさえその場を忌み嫌うほど湿り気の多い毒の沼地のような場所にぽつねんと一人立っている。後ろから近づくと筒井がボソボソとつぶやくのが聞こえた。「こんな変態騒ぎを行っている場所でちんこの1つや2つ、構うまい」どうやら同じことを考えていたようだ。僕は筒井のズボンを思い切り引き下げると、ズボンと一緒に筒井のドラえもん柄のパンツまで引き下がった。筒井のちんこが日の目を浴びる。プリマハム香薫あらびきウインナーここにありといった貧相なちんちんが白日のもとに晒された。その瞬間、僕と筒井は凍りついた。白日どころか体操服を着た女の子がこちらを見ていたのである。僕と筒井は天を仰いだ。太陽、女の子、ちんちん。その3点が直角二等辺三角形を作りだし、世界の真理が、一瞬そこに現れては消えていった。


「青春」のページは今しがた破り捨てた。こんな青春があってたまるか。6 割り増しぐらいで盛っているが、話の大筋は変わらず事実である。

僕の青春はいつからこうなってしまったのだろう?毎休み時間、筒井がホワイトボードをひっさげて僕の教室に大喜利をしにきたことが全ての始まりである。僕は高校生の休み時間の大半を、大喜利に費やした。数学が終われば大喜利をし、英語が終われば大喜利をし、体育が終われば誰よりも早く着替えを済ませて大喜利をした。ホワイトボードに答えを書き殴り、教室の机に叩きつける。僕たちの大喜利の歴史は、机の凹みにしかと刻まれたが、青春は泡のように消え失せてしまった。

大喜利の他に、僕たちが興じた遊びがもう一つある。それは消しゴムホッケーである。休み時間、僕たちにとって廊下はフィールドになり、ほうきはラケットになる。ほうきに打たれた消しゴムは廊下の上を一直線に滑走し、相手のゴール目がけて飛んでゆく。何もスポーツのできない僕と筒井はこの遊びが唯一の運動であった。自由への葛藤と性への衝動。男子学生特有の凶暴性は、消しゴムをほうきではじき飛ばすことで昇華された。

そしてその事件は全日本少年春季消しゴムホッケー大会決勝にて起こった。後半43分、点数は4-3。筒井がここで一点決めれば同点となり、延長戦にもつれ込む。しかし、勝利はすでに我の手中に収まりつつある。内心勝利を確信していた僕はほうきを握りしめ、筒井の次の攻撃を待ち構えていた。筒井がほうきを振りかぶる。周りが息を呑む。この一打で勝負を決める気だ。筒井は消しゴム向かって思い切りほうきを振り下ろした。ほうきは綺麗な弧を描き、消しゴムではなく地面に激突した。ほうきは真っ二つに折れ、折れた穂先はしどけなくぽとりと落ちた。何も動いていない消しゴムが、沈黙のうちに全てを物語っていた。

僕と筒井は全力で隠蔽した。学校の隅の隅のダンゴムシさえその場を忌み嫌うほど湿り気の多い毒の沼地のようなロッカーへと折れたほうきをぶち込んだ。それ以降、消しゴムホッケーのあの熱狂は廊下から姿を消し、スリッパサッカーへと時代は移り変わる。1ヶ月後、僕たちがほうきを隠蔽したロッカーから、ほうきは消えていた。じめじめとしたそのロッカーでは、微生物の働きが功を奏したのである。






青春の砂時計はすでに落ちた。夕日の中握りしめた400円も、直角二等辺三角形も、折れたほうきの穂先も、今となっては消えてしまった。

ここに、一人の男がある。顔つきがスッキリしているところをみると、今しがた「ジャーニー」を済ませてきたのだろう。彼は砂時計を手に取り、仔細に眺めている。やがて何かを思いついたらしく、ニヤニヤしながら、軽快な足取りで僕のもとに向かってくる。

「ここにしょんべん詰めてちんこ砂時計作ろうぜい〜」

青春の2文字は、僕のパンツのゴムをきつく縛りつけることはできなかった。僕はパンツを下ろす。この男はやはり、最高に面白いヤツだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?