もしかしたらヒーローになりたいのかもしれない

 それはきっとできないことだけど。

 生まれつき人に共感されたことがない。こう言うと変だが、例えば思想の話では常に「変わってるね」と言われてきたし、今思えば「わかる」なんて言われたこと無いかもしれない。好きな食べ物、嫌いな食べ物、嫌いな人、好きな人、好きなもの、嫌いなもの。人の形をしているからひとらしい。

 自己肯定感の話になった。私はどちらかというと自己肯定感が高い方だ、と思われていると思う。実際は自己肯定感がないのだけれど。
 自分の価値のために趣味があるんだろうが、と思うので、例えば価値なんて無いよなんて言う人が嫌いだ。そういってアンタ絵描けるじゃん。そういってアンタ歌うまいし、人とこうやって喋れてるだろ。卑屈ぶってんなふざけんな、と思う、思ってしまう。何も出来ない、出来てないなんて本当にベッドに沈んでるだけの時に言えよ。
 そうだ、生まれつき私は「商品」としての価値を磨けと言われ続けて来たな。だから私はいわゆる自己肯定感が高いのだろう。

 わたしって思想が肯定された経験、ないな。いつでも変わってる。厨二病ぶって外れてみても人並になりたくて紛れてみても、結局誰からも同じだって言われたことないな。
 それが人間だって、ひとつとして同じ思想はないんだって言われたことがあるけれど、それはどちらかというと綺麗事だ。いや、私が汚れ物なのかもしれないけど、人間というものは共感あって初めて人間足り得るのだから、そりゃ共感されたいだろ。共感されない理由なんて知らないし要らないし、友達は欲しいし、でも分かり合える友人なんてきっといない。

 ほんとうの私を、ためらいない私に同意してくれ、という願いはそんなに贅沢か? そんなに私はよくばりだろうか。よくばりだろうな。でもどうしたって理解されたいだろ。
 きみたちは理解されるんだろうな。羨ましいな、舐め合える傷が他人にもあって。

 他人に理解されないから、他人のことなんて考えてもわからないから、他人のことを考えないクセがついてしまった。そしたらなにもかも考えられないようになってしまった。目の前の人が可哀想だから助けたいと思った、それだけじゃだめなんだ。あとのことなんて考えられるわけないのに。知らない。未来なんて知らない。どう思うかなんて知ったこっちゃない、思ってるだけじゃ伝わらないんだから言えよ。気が向いたら配慮してやるからさ。

 結局、私とあの人たちの違いって「一番最初こそうまくいっていた」か「最初からダメだった」なんだろうな。たぶんあの人たちは脱水症状で倒れたまま動けなくなって、おやつの時間にケーキを食べる幼稚園の同級生を恨みがましく見つめたことはないんだろう。幼稚園に読み聞かせに来た両親に着いて帰ったことなんて無いんだろう。そういうことだろうな。あの人たちのことを理解しようとした私がバカだったんだな。最初から違うものに同意を求めたって、ふざけた面白くもない茶化しの文句しか帰ってこないって知ってたろ。
 知ってるよ、価値観が人間とズレてるって。
 肯定されたことなんてないよ。なんだよ。何を言ってほしいの? 不幸だねって? そうだね君の人生は不幸だったね。私は幸福だよ。ごめんね。君に比べりゃ幸福だよね。ごめんね。幸福なんてハナから比べるもんじゃないのに君が不幸を聞かせるから私は幸福だって思うんだ。だって君はつらそうだもの。私はつらくないもの。ごめんね。幸せで。煽ってるわけじゃないんだ。だって幸せなものを見てるとつらくなるだろう、ごめんね。

 誰かの幸福は願うだけタダだし、その誰かには自分も入ってる。全人類幸せになってくれ。
 って考えられてる私は金の余裕があるからこう考えられるんだろうな。

 いざとなれば正直死ねる気がしてるから怖い。だって注射みたいなものだろう、怖いね。痛いのは一瞬だけだから。