日記(2020/1/26):締め切りと計画と締め切りのサンドウィッチマン

おはようございます。
昨日、締め切り書き溜めのことについて書いていたのですが、もう一つ書くべきことがあるのでした。計画についてです。
昨日書いていたことをおさらいすると、「締め切りがあると、筆先で書くことが多くなる」という話をしました。これと似たような話で、「締め切りがあると、計画を作り込み、その通りにやる、ということは難しくなる」という話もあると思います。計画を立てるのには潤沢な時間的精神的余裕が必要なんですよ。

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もちろん計画そのものには計画の締め切りはあり、相手が欲しがる納期のタイミングとか、予算が尽きるタイミングとか、そういうのになります。
が、そこに間に合わせるためにこそ、逆にしっかり計画を立てねばならないし、そのためにどうしたって時間的精神的余裕はそれなりに要る。
そして、よく誤解されているのですが、潤沢な時間的精神的余裕があってこそ、締め切りのある計画をあらかじめ立てることが容易になるのであり、締め切りで潤沢な時間的精神的余裕を追い詰めると計画が進むという話は別に成り立たない。

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「そんな時間的精神的余裕はない」という場合もあるのですが、じゃあ計画なんてぜいたくなものを作らずに、非常事態の鉄火場であるという認識で、現場で手を動かしてホウレンソウするしかない。後方で作戦会議している人たちも、対応策は考えられて指示を出せるかもしれないが、計画を立てている余裕はあんまりないはずだ。
計画の必要な場合とそうでない場合は見極めなければならないし、余裕があるなら計画は立てれば良いが、余裕がないならそれは非常事態の鉄火場なので、計画立てるのは向いていない状況であるように思うんですよ。

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個人の話をすると、毎日締め切りに合わせて筆先で書いている単発の記事と、余裕のある時に書き溜めて書いている単発ないし一連の記事と、もっと余裕がある時に計画を立てて流れを整えて書いている一連の記事があるんです。
正直に言うと、その場の筆先で書くと、どうしても内容が散漫になるんですね。
しかし、そうなると、俺は締め切りのある連載に向いてないのか? だとしたらかなりイヤだなあ。いつか商業雑誌でなんか書く時に、締め切りからは逃れられないんで、散漫でないクオリティを維持したいと思ったら、メチャクチャ困ると思う。
「散漫でない品質なるもの、書き手のエゴに過ぎない。
読者は、グッとくる新しい話が読みたいので、種類が大事なのであって、品質が種類ほど大事、という話は勘違いだ。
また、媒体は、原稿が締め切り前に来て、印刷会社等多方面に迷惑をかけないようにして、落とさないで載せられることが最重要であり、やはり品質は納期に比べると劣後する。
そういう優先事項をすっ飛ばして、二の次にこだわるの、本質が見えてない」

という話はもちろんあるのだけど、まあ「種類納期も満たした上で、品質もうまくやりたい」とするのは許されると思う。うまくやりたいっすね…

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